絶頂は今

好奇心と探究心。

BANANA FISHで感じるジェンダーギャップと人間学について

 

 

BANANA FISH」は1985年から1994年まで、別冊少女コミック小学館)にて連載された作品。1985年のニューヨークを舞台に、ストリートキッズのボスであるアッシュと日本人の少年・英二が、非合法薬物“バナナフィッシュ”の謎を追う姿を描いている。黄色のカバーが目を引くフラワーコミックス版は全19巻が刊行されており、単行本の売り上げは累計1100万部以上を記録。現在は小学館文庫から全11巻の単行本と外伝1巻が発売されている。

 

natalie.mu

 

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 バナナフィッシュにハマった。

 2020年も2/3が過ぎる頃、たまたまレンタルショップでアニメのDVDを見かけ、以前からちょっと気になっていたな~ぐらいの軽い気持ちで借りて見始めた。

 結論で言えば、私はのめり込むように見入り2日でアニメ24話分を完走し、そのままの勢いで原作コミックス復刻版を全巻大人買い、そして番外編も含めコミックス20巻分の物語を読み込んだ。

 この記事を書いている時点でも、まだ私がバナナフィッシュを”知って”しまってから2週間ほどしか経っていないのだが、今のこの荒ぶる感情を記録に残しておきたいという衝動に駆られ、他にも書きたかった内容を無視して今これを書いている。

 

 バナナフィッシュとの出会いは私の今後の人生に大きく影響を与えるだろうし、少なくとも自分が死んだ時にはコミックスを棺桶に入れて欲しいと懇願するほどの壮大な感情を抱いてしまっている。どうしてくれんだよ………もうバナナフィッシュを知らなかった頃の自分に戻れねぇよ………アッシュ……(うわ言)

 自分の中でもまだ整理できていない部分が多々あるものの、これから何年もかけてじっくりバナナフィッシュを自分の中に落とし込んでいけたらいいな、と思っている。これだけ感情を揺さぶられ、生涯かけて深入りしたい作品と出会えることは人生でも片手で数えるほどしかないと思う。個人的にはキノの旅村田沙耶香の小説にハマった時と同じ感覚だ。

 如何せんまだバナナフィッシュを知ってからそんなに日が経っていないので、ひとまず書きたいことだけ書いていこうと思う。

 

不朽の主人公 アッシュ・リンクス

  バナナフィッシュを語る上で欠かせない存在は、もちろん主人公であるアッシュであろう。アニメでは私の推しである内田雄馬くんが声を担当している。はいそうです、正直ゆうまたそ目当てで軽率にアニメに手を出しました。底なし沼でしたけどね。

 しかし私がアッシュ・リンクスという人物にこれほど惹かれたのは何よりも彼の人生に痛いほど共感したからだ。そして、彼の生き様に悲しくも憧れ、どうしようもないほどに彼が持つ魅力に強烈に惹かれ、焦がれている。

 今ではもうアッシュ・リンクスという文字を見るだけで胸がざわつき、彼を想って泣きたくなるほどだ。我ながら重症だ。

 彼は女性と見間違うほど美しい外見を持つがゆえに、幼少の頃から力のある男たちに性的に搾取されてきた。児童買春クラブを経営するゴルツィネに売られ、男たちの性のはけ口である”商品”として心身を切り売りさせられていたことももちろんそうだが、「街を歩いてただけでレイプされそうになったことが何度もある」という言葉からもありふれた日常の中でもアッシュは”そういう”目で見られていたのだろう。

 それでも、アッシュは強い精神力で自身を蔑み搾取しようとしてくるやつらに屈することなく自我を保ち続け、結果的にゴルツィネに気に入られ、ブランカから生き延びるための教育を受け、誰も敵わないほどの実力と圧倒的なカリスマ性でニューヨークのストリートギャングたちをまとめるボスにまで上り詰めた。

 そして、バナナフィッシュをめぐる陰謀に巻き込まれていく中で、見返りを求めず、深い愛情で傷ついたアッシュの心を癒す奥村英二と出会い、物語は加速していく。

 BANANA FISHという作品はアッシュ・リンクスの人生そのものだと思っているし、アッシュ・リンクスの全てだと思っている。アッシュのために、英二もショーターも存在していたもの………でも光の庭(※原作19巻に収録されている番外編)の英二とシンを見るとしんどすぎて無理ですね………あと10年は引きずるわ………

 

生々しい女性蔑視とジェンダーギャップ

 バナナフィッシュでは、各所に生々しい女性蔑視の表現が含まれている、と私は思う。

note.com

  この方の記事を読んで、赤べこのように頷くことしかできなかった。まさに、アッシュを通して読者である私たちは女性蔑視はこんなにもおぞましいのだと痛感する。

 アルテイシアさんのコラムが大好きでよく読んでいるのでこれはもう耳タコなのだが、我が国日本は男女格差を測るジェンダーギャップ指数が153ヵ国中121位である。

www.gentosha.jp

 女性蔑視や根深いジェンダーギャップの溝は、フィクションでもなんでもなく現実に存在していることであり、実際に性被害はBANANA FISHが連載終了して四半世紀以上たった現在も変わらず数多く起きており、この問題は性差別や性被害にあった過去の有無に関係なく、誰もがおかしいと声をあげるべき問題である。

 

 話をバナナフィッシュに戻すが、作中ではアッシュやジェシカがレイプされるがその痛みは本人以外にはなかなか伝わらないものだなと感じる。

 そういう意味でも、ゲイクラブに潜入したマックスのセリフが印象的である。

女の気持ちがよぉくわかったよ…セックスの的になるってのはえれぇプレッシャーだな…

 私はこのセリフがこの社会の男女の性差を表してるなといつも思うのだ。普段セックスの的にならない側が、その立場になった時にようやくその不平等さや本人がセクシャルを意識していない間にもセクシャルな目を向けられる不気味さに気づくのだ。

 マックスは決して女性に対して蔑む態度をとるような人物ではない。むしろ、愛するジェシカがレイプされ、怒りに震えるほどだ。それでも、当事者になるまでそのおぞましさに気づけないのだ。私はマックスのような男性がこの世にはたくさんいると思っている。

 この物語の中では、アッシュが誰よりも女性の立場を理解してくれている。たとえそれがアッシュが望んだ結果でなくとも。だからこそ、力でアッシュを屈服させようとするゴルツィネやフォックスに対してこれまで女性たちが声に出せなかった悲痛な叫びを代弁してくれているように感じる。

あんたは俺をただのセックスの道具としか思ってなかったんじゃなかったっけ?

”痛いか?小僧”

痛みすら感じないと思ってたのさ…!人間どころか生き物ですらない

せいぜい性器のしゃぶり方を覚えるのがやっとの脳みそしかない―と

その気になった時に精液を流しこむ便所と同じだ

 

お前たちはいつもそうだ…

力で人を踏みにじろうとする

逆らうのが気に食わないと言って支配しようとする…

 

 私は幸運なことに、直接的な性被害を受けたことはない。それでも、外で男性がたくさんいるところに出くわすと本能的に怖いと感じるし、自分よりも体格がいい男性に詰め寄られるだけで気持ちが悪いと感じてしまう。

 小中学生の頃からデブだブスだと外見でバカにされ、虐げられてきた苦い記憶は消えないし、今なお私が私の意思で自由に選択し世の中のマジョリティから外れることに何か言いたくてたまらない人からの心無い言葉に傷ついている。

 この世界は、誰かが誰かを傷つけ、傷ついた人がまた新たな誰かを傷つけ、誰もが傷つきながら回っている。どんなに美人でも、どんなに優秀で聡明な人でも、メイクやファッション、趣味など特別なことではないことで簡単に外野から誹謗中傷を受け、簡単に自身の尊厳を傷つけられている。

 そんな世界で傷つきながらも必死に生きる人たちに、アッシュの生き様は強く響くだろう。

 

 以前、私はこんな記事を書いた。

yona1242.hatenablog.com

  一年前に書いたものだが、今読み返すと恥ずかしくなるほど無骨で、ただ自分が思っていることをそのまま書き殴ったような文章で校正したくなるレベルだが、当時の私が思っていたことは今も変わらず持っている。

 いつからか、私は女性であるという理由で決めつけられること、偏見を持たれることに嫌悪感を抱くようになった。私は女性である前に一人の人間なのに、性別だけで選別され、他人が勝手に決めたものさしで評価されることに怒りを覚えた。女の子なんだから、というお決まりの文頭は聞き飽きたし、だから何?と思っていた。

 だからこそ、アッシュが外見で判断され、謂れのない偏見と蔑視を向けられることに私もムカついたし、人を人と思わないやつらを葬りたくなった。

 ただ、こういった思想は危険因子でもあって、私自身も男性を女性を蔑む存在だと決めつけ、偏見を押し付けてしまう危険性を伴う。また、そういう人たちのことを人として見られなくなるほど視野が狭くなってしまう可能性も含まれる。

 私はどうあがいても生物学上女性であるし、今の私の性自認ではそれを変えたいほどの違和感はない。だからこれからも私は女性の立場で感じ、考えることしかできない。つまり、私とは異なる性、とりわけ男性がどのような立場にあるのか、自己の性欲や自己顕示欲、支配欲をどのように捉えどう向き合っているのか、想像することしかできない。もちろん、これらの欲は性別問わず人間誰にでもあるが、それを自分以外の立場や感覚で理解するということは非常に難しいものだと思う。

 マックスがセックスの的―セクシャルの対象として的を向けられる当事者になって初めて女性の気持ちがわかったように、どんな人でも当事者にならなければわかりっこないのだ。それゆえに、どこまで自分は相手の立場に寄り添って考えられているか、常に自問し続ける姿勢が大切なのだ。私はこういう考え方をするようになってから気をつけているつもりだが、それでも自分本位になってしまうことがまだ多くある。

 

 それでも、私は力や立場の弱い者を虐げ自己の欲を満たそうと他人の尊厳を傷つけるような人を軽蔑するし、絶対に許したくはない。そこにどんな理由があっても、裁判で同じことを言って通用するのか、と問いたくなる。

  未だに私の中には嫌だったのに声をあげられず悔しかった思いが成仏できずにある。そういう気持ちは、時間をかけて向き合っていくしかないのだろう。

 

英二という存在

 奥村英二、彼もまたバナナフィッシュ、いやアッシュを語る上で欠かせない人物だ。彼は運命的にアッシュと出会い、アッシュを押し流す運命に引き込まれるように彼の人生に深く関わっていくようになる。

 英二は、強くならなければ生きてこられなかったアッシュが唯一気を許せるようになる相手であり、アッシュにとって自分の命よりも守りたかった存在である。アッシュは英二(の魂)と一緒の時だけは最も無防備で、優しく、ただの17や18の年相応な少年でいられた。リンクスの仲間たち、シンや月龍、ゴルツィネでさえも彼を神格化している中で、英二だけはアッシュをただの友人として接し、心を通わせた。ゆえに英二の前ではアッシュは一番人間らしくなるのだ。それが皮肉にも、アッシュにとって唯一の弱点になってしまうのだが。

 アッシュに憧れる時、同時に私はアッシュに酷く嫉妬する。アッシュは、どんなに悲惨で死ぬことよりも地獄のような人生でも、英二というかけがえのない光と出会いこの上ない幸福を受け取ったのだから。

 そういう観点でいうならば、私は月龍に最も共感し、あの世界で一番自分に近い存在だと感じる。月龍にも英二のような存在がいたら…と思うと胸が苦しくなる。

 光の庭で、シンは英二のことを「他人のギリギリのSOSを敏感に感じ取る」と表現している。それは万人に対してではなく、限られた相手にしか発揮されないとしても、それでも英二がアッシュの心を救い、幸福に導いたことに変わりはない。

 誰もが傷ついている世界で、誰もがアッシュにとっての英二のような存在を求めていると思う。自分にとって唯一の人に救ってもらいたくて、ありのままを受け止めてもらいたくて、もがいている。私もそのうちの一人だ。

 もしかしたら私は死ぬまで英二のような存在とは出会えないのかもしれない。私はアッシュに感情移入しすぎてあまり英二に共感できていないのだが、英二はどうしてアッシュだったのだろう。英二にとっても唯一の人がアッシュだったわけだが、私にはまだわからない。これから先、自分自身が成長していくなかで、英二の気持ちがわかるようになるのだろうか。

 そうなった時、私は本当の意味で誰かを救える存在になれるのだろうか。今はまだ英二がくれるような愛に飢えている私でも、互いに心を満たし、満たせる関係性を築くことができるのだろうか。それとも、これもやはり夢物語なのか。

 

 まだまだバナナフィッシュは奥深い。だからこそ、長年愛される名作と呼ばれているのだろう。アニメも原作もどちらも素晴らしく、私の胸に深く刻まれた。

 今の私の夢は、これはきっとバナナフィッシュにハマった人は全員そう思うのだろうが、ニューヨークに赴き、アッシュたちが生きた場所の聖地巡礼をすることだ。そのための渡米貯金も始めた。コロナが落ち着いて心置きなく旅行ができるようになったら、絶対にニューヨークに行きたい。

 

 アッシュの魂を抱きながら、私はこれから生きていくことになるだろう。そして死ぬその瞬間まで、きっとアッシュの人生を想っていることだろう。もしかしたらそれだけでもう、私は十分幸福なのかもしれない。

 

youtu.be

 

 原作ビジュアルのアッシュもたまらなく好きだけどアニメのアッシュも最高に好きだな~~~~~あぁ~~~~~~アッシュ~~~~~~~~~~泣

 バナナフィッシュ全人類見て(オタクの常套句)