絶頂は今

好奇心と探究心。

名前のない愛


 私は今、ユーリ!!! on ICEを見ながらこのブログを書いている。

 昨年末に急激にハマり、その時にも本当は感想ブログを書こうと思ってはいたのだが、自分の中でうまく言葉がまとまらず、年末年始の慌ただしさでタイミングを見失い今に至る。

 ユーリ!!! on ICEという作品は、一言でいうならば「愛」の物語だ。ここに登場するキャラクターたちは自分の愛について向き合い、それぞれの愛を表現していく。

planet-goldfish.hatenablog.com

 この方のブログに、とても共感した。

 私が愛してやまないBANANA FISHアイドリッシュセブン(通称アイナナ)でもそうなのだが、私は性別や社会の固定概念に基づく恋愛や性愛、それに近いものを超越した、人間同士の深い繋がりのなかに存在する愛にとてつもなく惹かれる。

 ユーリ!!! on ICEの中で特に印象的なのは主人公である勇利のスケーティングだろう。
 第一話で彼は大舞台で結果を残せず地元に帰省、今後の進退について考え始め、いわば人生の岐路に立っていたところへ彼がずっと憧れていたヴィクトルがやってきて、コーチになると言い出し物語が展開していく。そして勇利は愛をテーマにしたプログラムで、自身のスケート人生をかけたシーズンに臨んでいく。

 勇利はずっと自分に自信が持てず、スケートもスケート人生も自分一人で抱え込み背負っていた。しかしヴィクトルと出会い、共にスケートや愛について向き合っていく中で家族、地元、リンクメイト、ライバル、選手仲間、そしてかけがえのない存在であるヴィクトルといった周りの愛によって自分がいることに気付き、それらを受け入れ自分自身の愛を見つけていく。

 私は勇利とヴィクトルの関係性にとても惹かれるし、BANANA FISHのアッシュと英二、アイナナのナギと三月の関係性もたまらなく好きだ。そこに所謂社会通念的な恋愛感情や性的な触れ合いがなくとも、確かにそこにはその二人の関係性だけの愛が存在しており、私はそこに強く惹かれるのだ。
 これらは俗にいうBLと呼ばれているものなのだろうが、私はBLについて考える時自分のセクシュアリティについて考える。私が好きなBLには、私のセクシュアリティと自分自身のリアルな恋愛観が強く影響している気がするからだ。(少女漫画や男女カップルに対する私の気持ちはまた別物なので今回は割愛させてもらう)

 先程も言ったが、私は愛し合っている二人にわかりやすい恋愛感情や性的な触れ合いを求めていない。なぜなら私にとって愛とは、一時の感情や快楽に繋がる触れ合いに存在するものではなく、ただそこに在るものだからだ。愛は、想いや関係性の数だけ存在するし、この世界には様々な愛が遍在していると思っている。

 私は現在、パンセクシュアルとノンセクシュアルを自認している。
 セクシュアリティは人によって解釈や感じ方が微妙に異なるので定義するのが難しいのだが、私にとってのパンセクシュアルは「性別で好きになる相手を限定しない(好きになる相手の性別を問わない)」、そして私にとってのノンセクシュアルは「他者に性的魅力は感じるが性的欲求を抱かない」である。
 簡単に言うと、「好きになった人が私の好きな人、相手の性別にかかわらず好きな人にかっこいい!やかわいい!等の感情を抱くがセックスはしたいとは思わない」が現時点での私のファイナルアンサーかなと思っている。

 両親が所謂でき婚で、その後母親が育児放棄して離婚、シングル家庭で育った私は自分の出生に対してポジティブな印象を持っておらず、生殖に結び付く性行為はしたくないと思っている。正直26年間性行為を必要としてこなかったのでその必要性もわからない。むしろ予期せぬ妊娠をしてしまうリスクとそうなった場合の心身や経済的な負担を考えると私の生活においてはデメリットであるとすら思う。
 愛の伝え方は性行為が全てではないと思っているし、性的な触れ合いよりももっと深く、心の奥底から、肉体を超越した魂の繋がり、そういう愛に私は魅力を感じ、求めている。


 そばにいるだけが愛ではない、離れていても魂の繋がりやそれに準ずる繋がりがあればそこには二人の関係性の愛があると思う。
 ロシア大会FPでヴィクトルがいない中でヴィクトルとの愛を信じて証明するために滑りきった勇利、日本へ帰る際に僕の魂はいつも君と共にあるとアッシュに伝えた英二、ナギが姿を消してもナギのグループや仲間への愛を信じて探し続けた三月。
 彼らが見せてくれる愛の形に私は感動して愛おしく思うし、私の理想の愛だなと感じる。
 BLではないが、はいからさんが通るの紅緒と少尉も離ればなれになっていても互いを想い合い互いのために生き続け、死ぬときは一緒だ、と誓う二人の愛が大好きで、はいからさんは私の恋愛観に多大な影響を与えているな……と感じる。

 ユーリ!!! on ICEの中で私が特に好きな台詞がある。

第4話 海辺での勇利とヴィクトルの会話

「勇利は、俺にどの立場でいてほしい?父親的な?」
「いやぁ…」
「兄?友達?」
「う〜ん…」
「じゃあ、恋人か?」
「ないないないないない!!!ヴィクトルは、ヴィクトルでいてほしい! 僕はずっと憧れてたんだ。僕の嫌なところ見せたくなくてあんな…無視したりして… 全部、スケートで返すから」
「オーケー、手加減はしないよ。それが俺の愛だからね」

第5話 記者会見での勇利の言葉

「僕の愛、それはわかりやすい愛や恋ではなくて、ヴィクトルとの絆や、家族や地元に対する微妙な気持ち、ようやく自分の周りにある愛のようなものに気付くことができました。初めて自分から繋ぎ止めたいと思った人、それがヴィクトルです。その感情に名前はないけれど、あえて愛と呼ぶことにしました。」


 私がこの作品を好きな理由は、きっとここにあるなと感じる。私が友人に対して抱いている愛も、これに近いものだ、と実感するからだ。
 ただ、その人はその人であってほしい。私との関係性にあえて名前をつけたくなく、かといってこの気持ちは友情だけで片付けられるものでもなく、ただ、このままずっと続いていって死ぬときに最後まで想っていたいなと思うのだ。

 家族や友人に対する愛も、趣味や文化に対する愛も、推しに対する愛も、宇宙や自然に対する愛も、いろんな愛が私の中には常に存在しており、愛することは私にとってとても身近で、たぶん無意識にでもできることなんだろうなと思う。
 そのぶん、愛されることが未だに苦手なので、今世の課題かなと感じている。私のドラゴンヘッド蠍座なのは、そういうところかなと。

 ユーリ!!! on ICEを見返しながら、私が人生のパートナーに望むのはやっぱり勇利とヴィクトル、アッシュと英二、ナギと三月のような名前のない愛なのだな、と再確認したのだった。



(追記)

それはそうと氷上で滑っている時の勇利の顔めちゃくちゃめちゃくちゃかっこよくないですか!?!?!?!?普段のぽやぽやふくふく顔とのギャップ……ッ……クッ……………SUKI………………私がユーリ世界線のスケオタだったら勝生勇利の追っかけをしてカツ丼のぬいぐるみを手作りして勇利の演技が終わったあとリンクに投げ込みたかった……………