絶頂は今

好奇心と探究心。

愛着って本当なんなんだろうね


 3月に入って数日。私は今とても疲れている。
 今月20日には宇宙元旦とも呼ばれる春分が控えており、宇宙のエネルギーがそこから本格的に新たにスタートするタイミングだ。12星座で言うと一番目の星座である牡羊座の季節となり、より一層エネルギッシュに前へ進むようになる。
 それまでの魚座期間はこの一年間の総まとめ、目まぐるしく変化してきた感情たちの浄化、そんな期間かなと感じている。

 これは私の体感なのだが、2月は「(みんなといても楽しいけど)割と一人でも平気」だったのが3月は「一人だと全部を抱えるのがしんどい」みたいな感覚だ。
 ただでさえ全天体巡行でタスクが次々押し寄せてきているのに、自身の感情までも渋滞してきて正直私はお手上げだ。無理。しんどい。疲れた。

 私は人が好きだし、こんなんだけど本当は周りに頼りたいし、誰かにつらいよって甘えたい。でもそれが上手くできなくて苦しくなってまた夜中にメソメソ泣いてしまった。少し話は違うが泣くと精神的にも落ち着いて気分がスッキリする(※医学的根拠あり)ので大人も積極的に泣くべきだと思う。

 私が人に頼れない性分なのは、きっと愛着スタイルの影響もあるんだろうなと自覚している。
 私はおそらく恐れ・回避型を持っていて、そのためか昔から人間関係が下手くそだった。

 回避型というのは、特定の誰かと深く関わることを回避してしまうスタイルで、その背景には誰かと関わる過程で認めてもらえなかったことや相手から自分が求めた愛情を受け取れなかったことがあると思う。
 そして、不安型(恐れ)というのは相手の反応が気になって嫌われてしまうのではないかと不安になるスタイルで、その背景には相手を信じて踏み込んだ時に呆れられたり嫌われたり拒絶されたりした過去があると思う。
 恐れ・回避型はその両方の要素を持っており、人と繋がりたいのに怖くなって距離を置いてしまうのだそうだ。私は大好きな人に拒絶されるくらいならいっそ誰とも関わりたくないと思ってしまうし、10年一緒に過ごした友人にさえ未だに嫌われてしまうかもしれないという不安がある。人の気持ちが流動的で不安定だと知っているからこそ、何をもってずっと友達でいてもらえると確信をもって言えるのかわからず、時々どうしようもなく不安に襲われる。

 私は幼少期に親からのわかりやすい愛情を受け取れず、甘えたい時に甘えられずに育った。祖母に「人に迷惑をかけてはいけない」と教育された私は何かしてほしい時にも本音を我慢して"良い子"でいようとして、誰にも甘えられず一人で過ごすことが多かった。

 そんな時に私の支えだったのが空想の世界だった。数多の物語、フィクションの世界、夢がたくさんつまった非現実的な世界。そこに入り込むことで現実のつらさを忘れて、夢の世界に夢中になった。
 月星座が魚座ということもあって、小さい頃は何度も何度もディズニー映画を見ては、その中のキャラクターと一体化した。とりわけ大好きだったのがリトル・マーメイドで、人と人ならざるものの境界線を超えた愛に夢中だった。人間の世界ではない、海の世界にも憧れたし、今いる場所ではない世界に憧れた。アリエルになりきることで、自分ではない存在になろうとした。

 今、なんとなくそんな私のインナーチャイルドが幻想的な世界を求めている気がする。誰にも甘えられなかった幼少期の私にとって唯一の救いだった夢の世界。
 人は、幼少期の癖を繰り返すものだなと痛感する。その頃に救いだったものをずっと心の支えにしているし、その頃に失敗したことをずっと自分の足枷だと思いこんでしまう。
 とはいえ過去はどうあがいても取り返せないし、やり直すこともできないので、今できることを今やっていくしかないのが現実だ。

 2月には勇気を出して頑張れていたことも、プツンと糸が切れたようにやる気が起こらなくなってしまった。誰かと繋がることも、自分を表現した動画作りも、誰からも必要とされてない気がして虚しくなってしまった。
 決して誰かが悪いわけではなく、私が勝手にそう感じてしまって、動けなくなっただけの話だ。このブログを書いているのは、これを読んでくれているあなたにそこを誤解してほしくないからだ。
 まぁ、こんな個人的なブログ、誰が読んでくれているのかもよくわからないけれど、一人でも読んでくれているのなら、書いた甲斐があるというものだ。

 結局今の私にできることはまた夢の世界に逃げ込むことだけだが、逃げることは恥だが役に立つとガッキーも言っているので(※言ってない)、おとなしく二次元にどっぷり浸かろうと思います。

 いつか私にも、この人は私をずっと好きでいてくれる、と確信を持って言える人が現れるのだろうか。どうしたら相手を心から信じて甘えられるようになれるのだろうか。
 泣いている私のインナーチャイルドを救ってくれる人はこの世にいないのかもしれないし、それは結局自分自身で癒やしていくしかないのかもしれない。はぁ、世知辛い。

 自分のインナーチャイルドさえ癒せないような人間が、本当に子どもたちと関わっていていいのだろうか。
 常に不安が付きまとう私の居場所はいったいどこにあるのだろう。