あの日の懺悔と、今思うこと
※このブログ内でいう男性/女性というのは、
※セクシュアリティは、性自認(
参考動画
伊咲ウタさんの「きみのせかいに恋はない」を読んだ。
いろんな人に読んでもらいたい作品だと思った。
物語は告白シーンから始まる。男友達に告白された主人公の花井チカは、周りが話す恋愛というものに共感できず、彼と付き合ってみたものの触れられて気持ち悪くなり拒絶してしまう。
同姓の友達にも理解されず、自分は普通の恋愛ができないのだと思うようになったチカは、進学した大学で心理学部の教授と出会い、「アセクシュアル」というセクシュアリティを知る。
アセクシュアルというのは、性的欲求を抱かないセクシュアリティのことで、チカの場合は性嫌悪もあった。
自分はアセクシュアルなのかもしれない、と悩みながらも自分自身のセクシュアリティを探求していくチカの姿に、自分を重ねながら読んだ。
私は現在、FtX(生まれ持った身体の性が女性、自認する自身の性がXジェンダー)のパンセク/ノンセク(性嫌悪あり)を自認しているが、こういったセクシュアリティの知識がなかった頃は、自分はなんか普通じゃないんだなと漠然と感じていた。
性的指向については過去のブログ(名前のない愛 - 絶頂は今)でも触れているが、私は自分自身の出生や生殖に対して嫌悪感があり(軽度のアンナタ、自分以外には適応しない)、自分が誰かと性的な肉体関係になっている状態が想像できない。スキンシップは親愛としての手を繋ぐやハグをする、まで。それ以上のことはしたいと思わない。
性行為をお互いの同意の上で他者と他者がしているのは私と直接的に関係ないので性犯罪でなければ特に何も思わない(だから二次元は暴力的な表現でなければ見たり読んだりできる)、あくまでも私の肉体が他者から性的に触れられたりするのが無理という話だ。性的な目で見られることも性的に消費されることにも嫌悪感を感じるし、世の中の性被害や性犯罪に対して強い憤りを感じている。広まれ性的同意~!yona1242.hatenablog.com
伊咲ウタさんの「きみのせかいに恋はない」を読んだ。
読めるのが電子のみというのが残念なほど、
物語は告白シーンから始まる。
同姓の友達にも理解されず、
アセクシュアルというのは、
自分はアセクシュアルなのかもしれない、
私は現在、FtX(生まれ持った身体の性が女性、
性的指向については過去のブログ(名前のない愛 - 絶頂は今)でも触れているが、
性行為をお互いの同意の上で他者と他者がしているのは私と直接的に関係ないので性犯
それでも、何年か前までは私もシスジェンダー(
私がそんなシス/ヘテロ思想の渦中にいた頃、同性の知人から「
当時の私は、
今の私の言葉で弁解させてもらえるなら、こう答える。
当時の私は付き合う=
女性を否定する意図はなかったけれど、
そんな私が自分の性自認に違和感を感じるようになったきっかけは
それまでは男性芸能人ばかりを好きになっていた私が、
これは2年前に私が初めて友人に自分の性について打ち明けた時の
この時初めて自分はXジェンダーだと伝えたけれど、
身体の性は女性で、手術を希望したり、トランス自認をするほどの違和感は私にはない。
この時はまだ今と比べてセクシュアリティの知識も乏しく、男性らしさや女性らしさというジェンダーバイアスを無意識的に指標にしている。今も20数年間で根付いたジェンダー観から完全には抜け出せていないので、これからも精進していきたい所存だ。
今は、どんな性別の人でも好きになる可能性はあると思ってパンセクと公表しているが、1mmでも性行為や生殖の可能性があると嫌悪感が出てしまうのでシス男性とは仮に好きになっても付き合ったり結婚したりするのは難しいと思っている。
アラサーと呼ばれる年齢になり、
セクシュアリティは変えようとして変えられるものではないし、
それでも、
東京レインボープライドに参加したり、
年明けに15年連れ添った愛犬が亡くなり心にぽっかり穴が空いてしまい、今も寂しくて寂しくてどうしようもなくて泣いてしまう夜がある。そんな時、やっぱり私を理解して、私を尊重して、私を愛してくれるパートナーに側にいてほしいなと思うようになった。
祖母が亡くなってつらかった私に寄り添ってくれた愛犬のように、ありのままの私を受け止めてくれる存在がいてほしいと強く思うようになった。私が求めているのは、何があっても関係性が変わらない家族なのだろうなとぼんやり思う。はぁ~~~早く同性婚が認められてほしい。どんな人も、結婚したい人と結婚しようと思った時にそれができる社会になってほしい。私にとって結婚とは、生涯変わらない関係性でいるという契約なので。
セクシュアリティに限らず様々な理由から私と同じように「自分はなんか普通じゃない」「自分はみんなと違う」と悩んでいる人がいたらひとりじゃないよと伝えたいし、性のことや人間関係のことで苦しんでいる人がいたら味方になって力になりたいと思う。
だからこそ私は性教育を広めたいし、自分の持つ知識や経験は惜しみなく必要としている人のために使って貢献したいと思っている。そういう仕事を生業にして生きていきたい。
生まれた理由なんてあってもなくてもいいと思うが、生まれた理由がない私が生かされている理由はきっとそこにある気がするのだ。