絶頂は今

好奇心と探究心。

あの日の懺悔と、今思うこと

 


※このブログ内でいう男性/女性というのは、当人の性自認のことではなく対外的にみて生まれ持った身体の性別で便宜上区別しています。悪しからず。
セクシュアリティは、性自認(自分はどのような性であるかという認識)と性的指向(どんな相手を好きになるか)と性表現(服装や髪型、言動などで表現する性)が複雑に絡み合っており、ひとりひとりがオリジナルのセクシュアリティを持っています。

 
参考動画


www.youtube.com



 伊咲ウタさんの「きみのせかいに恋はない」を読んだ。

 

 

 読めるのが電子のみというのが残念なほど、いろんな人に読んでもらいたい作品だと思った。

 物語は告白シーンから始まる。男友達に告白された主人公の花井チカは、周りが話す恋愛というものに共感できず、彼と付き合ってみたものの触れられて気持ち悪くなり拒絶してしまう。
 同姓の友達にも理解されず、自分は普通の恋愛ができないのだと思うようになったチカは、進学した大学で心理学部の教授と出会い、「アセクシュアルというセクシュアリティを知る。
 アセクシュアルというのは、性的欲求を抱かないセクシュアリティのことで、チカの場合は性嫌悪もあった。
 自分はアセクシュアルなのかもしれない、と悩みながらも自分自身のセクシュアリティを探求していくチカの姿に、自分を重ねながら読んだ。

 私は現在、FtX(生まれ持った身体の性が女性、自認する自身の性がXジェンダー)のパンセク/ノンセク(性嫌悪あり)を自認しているが、こういったセクシュアリティの知識がなかった頃は、自分はなんか普通じゃないんだなと漠然と感じていた。
 性的指向については過去のブログ(名前のない愛 - 絶頂は今)でも触れているが、私は自分自身の出生や生殖に対して嫌悪感があり(軽度のアンナタ、自分以外には適応しない)、自分が誰かと性的な肉体関係になっている状態が想像できない。スキンシップは親愛としての手を繋ぐやハグをする、まで。それ以上のことはしたいと思わない。
 性行為をお互いの同意の上で他者と他者がしているのは私と直接的に関係ないので性犯罪でなければ特に何も思わない(だから二次元は暴力的な表現でなければ見たり読んだりできる)、あくまでも私の肉体が他者から性的に触れられたりするのが無理という話だ。性的な目で見られることも性的に消費されることにも嫌悪感を感じるし、世の中の性被害や性犯罪に対して強い憤りを感じている。広まれ性的同意~!yona1242.hatenablog.com
 


 それでも、何年か前までは私もシスジェンダー(生まれたときに割り当てられた性別と自分が自認する性別が一致している人)でヘテロセクシュアル(自分の性自認からみて異性を好きになる性的指向)だと思い込んでいた。そうでない自分を想像もしていなかったし、考えられるほどの知識もなかった。

 私がそんなシス/ヘテロ思想の渦中にいた頃、同性の知人から「女性から好意を寄せられたらどうする?」と聞かれたことがある。
 当時の私は、たとえ親しい相手でも付き合うのは無理だと答えたらしい。らしい、というのは正直この時の会話を私が覚えておらず(最低)、数年後にその知人にこのことを聞いたからだ。この件についてはもう全方向に土下座をしたいほど、今でも後悔している失言だ。

 今の私の言葉で弁解させてもらえるなら、こう答える。
 当時の私は付き合う=性的な肉体関係を持つ関係性のこと、という印象が強く、なおかつ私の性嫌悪は親しい相手にほど強く感じるので付き合うことはできない。恋人になるよりも、友達としてプラトニックな関係性のまま仲良くしていたい。そんな気持ちだったと思う。
 女性を否定する意図はなかったけれど、結果的に拒絶するような言い方をしてしまっていたと後悔している。同じようなことを二度と繰り返さないためにも、このことを戒めとして重く受け止め自分自身を律したいと思う。

 そんな私が自分の性自認に違和感を感じるようになったきっかけは、とある女性アイドルにがち恋したことだった。
 それまでは男性芸能人ばかりを好きになっていた私が、雷に打たれたようにその人にゾッコンになってしまったのだ。あの時の気持ちは、誰になんと言われようと私にとっては恋だったのだ。彼女を好きになったことで、私の中には性別による恋愛対象の境界線はないのだと知った。(後のパンセク自認に繋がる)

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 これは2年前に私が初めて友人に自分の性について打ち明けた時の文章だ。字が汚いのは許してほしい。
 この時初めて自分はXジェンダーだと伝えたけれど、今は自分の性自認にぴったりはまる言葉がないから便宜上Xジェンダーとしている感覚で、どちらかというと性別で私という存在を決めつけてほしくなく、私は私という人間として認識してほしいという気持ちが強い。
 身体の性は女性で、手術を希望したり、トランス自認をするほどの違和感は私にはない。ファッションはレディースの方が好みだから選んでいるけれど、女性だから選んでいるというより趣味として女装を楽しんでいる感覚なので私に女性らしさを求められると単なる趣味なのにな…と思ってしまう。メイクも私が純粋に興味がなくやりたいと思わないので女性だからと押しつけられるとウッとなる。
 この時はまだ今と比べてセクシュアリティの知識も乏しく、男性らしさや女性らしさというジェンダーバイアスを無意識的に指標にしている。今も20数年間で根付いたジェンダー観から完全には抜け出せていないので、これからも精進していきたい所存だ。
 今は、どんな性別の人でも好きになる可能性はあると思ってパンセクと公表しているが、1mmでも性行為や生殖の可能性があると嫌悪感が出てしまうのでシス男性とは仮に好きになっても付き合ったり結婚したりするのは難しいと思っている。

 アラサーと呼ばれる年齢になり、同年代の人たちが結婚出産をしていくのを横目で見ながら、私はこのまま老いて一人で死んでいくのかもしれない、と思う時がある。
 セクシュアリティは変えようとして変えられるものではないし、私の複雑なセクシュアリティを理解して一生一緒にいてくれる人なんてそうそう現れない気がして、なかなか未来に希望を持てずにいる。セクシュアリティに限らず、自分の人生へのこだわりも強いうえに譲れない部分も人より多い自覚はある。

 それでも、こうして自分について発信していればいつか共感してくれる人と出会い、理想の人間関係を築けるかもしれない。そんな一縷の望みをかけて今年は私という人間をフルオープンにしようと決意した。
 東京レインボープライドに参加したり、SNSセクシュアルマイノリティであることをカミングアウトして似たようなセクシュアリティの方と繋がったり、こんな自分にもできることからやっていこうと、動き始めた。まだ動き出したばかりなのでこの先どうなるかはわからないけれど、それでも死ぬときに後悔はしたくないので、できることはやっておこうと今は思っている。
 
 年明けに15年連れ添った愛犬が亡くなり心にぽっかり穴が空いてしまい、今も寂しくて寂しくてどうしようもなくて泣いてしまう夜がある。そんな時、やっぱり私を理解して、私を尊重して、私を愛してくれるパートナーに側にいてほしいなと思うようになった。
 祖母が亡くなってつらかった私に寄り添ってくれた愛犬のように、ありのままの私を受け止めてくれる存在がいてほしいと強く思うようになった。私が求めているのは、何があっても関係性が変わらない家族なのだろうなとぼんやり思う。はぁ~~~早く同性婚が認められてほしい。どんな人も、結婚したい人と結婚しようと思った時にそれができる社会になってほしい。私にとって結婚とは、生涯変わらない関係性でいるという契約なので。
 
 セクシュアリティに限らず様々な理由から私と同じように「自分はなんか普通じゃない」「自分はみんなと違う」と悩んでいる人がいたらひとりじゃないよと伝えたいし、性のことや人間関係のことで苦しんでいる人がいたら味方になって力になりたいと思う。
 だからこそ私は性教育を広めたいし、自分の持つ知識や経験は惜しみなく必要としている人のために使って貢献したいと思っている。そういう仕事を生業にして生きていきたい。
 
 生まれた理由なんてあってもなくてもいいと思うが、生まれた理由がない私が生かされている理由はきっとそこにある気がするのだ。