絶頂は今

好奇心と探究心。

i


 私は時々私を見失う。

 自分の夢も、自分のアイデンティティも、自分の存在意義も。

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 西加奈子さんの「i」を読んだ。
 発売した頃からずっとこの小説の存在は知っていたし、書店でもそれをよく見かけていた。けれど実際に手に取ることはほとんど無かったと思う。
 なのに、その日に限っては、フラッと出掛けた先で惹かれるように手が伸び、これを読むべきだとふいになぜかそんな直感がして、気づけばレジでバーコードを通していた。
 そしてその夜、一晩で私はこの物語を全て体感したのだ。

 涙が止まらなかった。赤子のように泣きじゃくった。今の私に、この物語は絶対に必要だった。そうとしか思えないほど、私の心の奥底まで西さんの優しさがじんわり沁みたのだ。抱きしめてもらいたくてたまらなかったのは、私のほうだった。

 主人公のアイは、アメリカ人の父と日本人の母に育てられたシリア人の養子だ。アイにとってそのアイデンティティは幼少の頃からコンプレックスだった。
 そんなアイが、ニューヨークと東京で暮らす中で様々な葛藤をしながら成長していく過程がとてもリアルだった。読みながら、私はアイと一体化したような感覚に陥っていた。アイと共に苦しかったし、もがいていたし、心の叫びを叫んでいた。私はアイだったし、アイは私だった。違うのだけれど、違わないのだ。

 今私がこうして生きて、それとなく生活できているのは、これまでのたくさんの奇跡の上に立っているからだ。
 数えきれないほどの先祖たちが出会って、命を繋いで、私が誕生して、この家で、この家族と暮らしながら、あの保育園、あの小学校、あの学童、あの中学校、あの高校、あの大学、あのバイト先、今の職場、そして今の短大とたくさんの道の選択肢からひとつひとつが繋がって今に至っている。
 数えきれないほどの人たちと関わり、影響し合いながら、今ここにいる「私」は出来上がってきたのだと思う。

 膨大な選択肢を考えれば尚更、これまでに死んでしまってもおかしくない節目はたくさんあったはずだ。

 生後まもなく横隔膜ヘルニアで手術したとき
 喘息の発作で救急車で運ばれたとき
 いじめが原因で不登校になったとき
 大学受験に失敗したとき
 大学を中退して将来に絶望したとき
 大好きなおばあちゃんが亡くなったとき

 これ以外にも、数えきれないほどあるだろう。飛行機に乗るたびに墜落死する可能性だってあったはずだし、車を運転するたびに事故死する可能性だってあったはずだ。言い出したら本当にきりがないほど、死は身近だ。

 最後の節目については、今もその渦中にいるのかもしれない。あの日からずっと私は生と死について考えているし、私が生きる意味がわからなくて毎日考えれば考えるほど疲れてしまって、もう生きるのをおしまいにしたいと感じていた。
 どうして私は生きているのだろう。どうしておばあちゃんは死んでしまったのだろう。どうして3歳の女の子が不慮の事故で死んでしまったのだろう。どうして私よりも輝かしい未来が待っているはずの人が容易く死んでいっているのだろう。
 私にできることがあるなら、それをするのが生きる理由になるのだろうが、それが何なのかわからない。私でなければいけない理由はどこにも見当たらない。
 人に迷惑をかけないのが信条なのに、生きているだけで人に迷惑をかけ続けなければならないのはストレスだ。そのストレスから死ぬまで逃れられないというのは酷だ。 いっそ極限まで人間関係を無くせば、誰の気にも留まらず極力迷惑をかけずに生を終わらせることができるのではないだろうか。

 そんな風に考えていたときに、「i」と出会った。今思い返しても、それはやはり運命としか言いようがなかった。

 西さんの小説には、優さんの歌と同じようなにおいがする。ただありのままを肯定してくれる、優しいにおいだ。誰のことも見捨てない、力強い優しいにおい。
 いや、炭治郎かよ!という特定のツッコミはさておき、本当にそう感じるのだ。

 前に、私にとってなんでも話せるような、全てを受け止め肯定してくれるような、そんな人はいないのかと友人に聞かれたことがある。
 その時の私は、考えなしにいないと即答してしまった。あの日からずっとその言葉を後悔している。
 本当にそう思っていたからそう答えたのは確かなのだが、友人の前で言うべき言葉ではなかったし、もっと他にましな伝え方があったのではないかとも思う。
 人の心は誰にもわからないし、何をもって信じられるのかも曖昧だが、もしも私が見えていないだけでそうしたいと思ってくれる人がいたとするならば、私がその存在を無視することはその人にとても失礼だと思った。

 私はずっと、自分は幸せになってはいけないと心のどこかで思っていた。たぶん、母親に育児放棄されたと知ったときからずっと。両親に望まれて生まれてきたわけではないと悟ったときからずっと。父親の華の20代を私の子育てで奪ってしまったと感じたときからずっと。
 私が幸せであるとき、どこかに幸せでない人がいると、とてつもなく居たたまれない気持ちになるのだ。
 他者の幸せほど、私の気持ちを楽にしてくれるものはない。良かった、これで私も幸せになれると思えた。安心できた。
 だけれど、ひとたびニュースを見れば世界中に不幸はゴロゴロ転がっている。私がのうのうと生きている間に、たくさんの人が死んでいっている。アイの言葉を借りるなら、こんなにたくさんの事件や事故が起こっている中で、私は死ねなかった、死ぬことを免れてきたと感じる。

 そうまでして生き残った私にできることは、何なのだろう。私の人生は、何かの役に立てるのだろうか。誰かが生きたかった時間を、誰かが抱いた夢を、誰かが成し遂げたかった望みを、私は何かに昇華できるのだろうか。

 「i」を読んでもなお、その答えは見つからない。それでも、やっぱり私にできることを精一杯誠意をこめてひとつひとつやっていくしかないと思う。

 amazarashiの、つじつま合わせに生まれた僕等という曲が好きだ。
 

 戦争やテロは絶えない。人類が誕生し、人と人が共同体となって生きた頃から世界平和はただの一度も訪れていないし、人は人と争い、人を憎しみ、人を傷つけ、人をいとも簡単に殺していく。
 そんな世界の片隅で、私は今生きている。長い長い人類の歴史のほんの一部分に生きている。

 アイは、自分が生きた証に自分の血を分けた子供を欲した。私は子供を産みたいわけではないが、気持ちはとてもわかる。
 私がこの世界に私として生きていた痕跡のひとつにこのブログが在ればいいなと思って、ここでは嘘偽りなく思ったことをまっすぐ書いて残しておこうと決めている。

 私の思考を詰め込んだブログをいつか一冊の本にできたら、それはアイにとっての子供であり、私にとってのアイデンティティになるかもしれない。私の実態を証明できなくとも、そこに私はいたのだと。

 我思う、ゆえに我あり