絶頂は今

好奇心と探究心。

自省録


令和元年 7月31日 午前1時頃
祖母が、息を引き取りました。

生まれて間もない頃に両親が離婚し、実母の存在を知らずに育った私にとって母のような存在でした。享年75歳でした。

本当に、強い人でした。
自分の欲よりも家族のために長年働き続けた祖母。母親を失った私の面倒を誰よりも熱心にみてくれていました。必死に働きながら息子3人と孫の私を育てあげ、やると決めたことは決して諦めずに最後までやり遂げました。

とりわけ、孫の私には不自由がないようにたくさんの配慮をしてくれて、私のやりたいことはなんでもやらせてくれました。塾も、水泳も、受験も、なんでも好きなようにやらせてくれました。私がつらい思いをさせられたと知れば、私よりも相手に怒ってくれました。私のために、いろいろなことを尽くしてくれました。

私はよく出来た子ではなかったので、計り知れないほどたくさん迷惑をかけてきたと思います。私はずっと祖母の期待を裏切ってばかりでした。やることなすこと全て中途半端で、おまけに家族の絆に執着しない私をみては、きっと心を痛めていたでしょう。

私は私の世界のことでいっぱいいっぱいで、祖母のために何かをしようという気持ちはあまり持てずに生活していました。何かこうしてあげたいと考えついても、落ち着いたら、余裕が出来たら、と先伸ばしにして結局大したことは出来ませんでした。本当に、考えるだけで行動しないということがいかに愚かなことか、痛感しました。

祖母に頼まれた家事や日々の頼まれごとも、正直嫌々やっていました。自分じゃ出来ないから頼んでるの!お願い!と何度も懇願されました。渋々やりつつも、心の底ではとても面倒だと思っていました。きっとそれは伝わっていたのでしょう。最後まで私たちに負担をかけまいと、没後の手はずを自ら整えていました。

そんな祖母の弱点は、素直になれないところでした。嬉しい時も、楽しい時も、あまり表情や言動に表してくれませんでした。プレゼントをしても素直に喜んでくれない。料理を作っても味付けに文句を言う。テストで良い点取ってきても褒めてくれない。旅行に誘っても嫌な顔をする。
自分のために誰かの時間やお金、労力をかけられることを好まない人でした。そういう人だったので、私たちはいつも寂しかったです。子どもだった私は、幼心に愛されていないのではないかとさえ思っていました。

それでも、私たちは祖母にたくさんたくさん愛されていました。それをようやく実感できたのは、皮肉にも亡くなった後でした。口ではあぁだこうだ言っていたけれど、私たちの写真や思い出の品を大事に取っておいていたのを、遺品を整理している時に発見しました。親戚からは、私の知らないところで何度も何度も私の話をしていたエピソードを聞きました。全て、今更でした。今更気づいて泣いたって祖母はもういない。

失って初めて気づく有り難み、というのは知識としては知っていたけれど、実体験に基づいた体感として理解したのは祖母が亡くなってからです。でも、きっとどの人生の選択をしていても、私はここで初めて気づく人生だったのだろうとなんとなく思うのです。それくらい、私にとって祖母は、とても大きな存在なのです。

亡くなる2日前、急激な暑さで祖母は脱水症状になり、様態が悪化しました。その時なぜだか、今話さないと一生話せないような気がして、今の自分の夢や祖母への感謝の気持ちを泣きながら伝えたのです。祖母は苦しそうにしながらも、私の話を聞いてくれました。そして、あなたの好きなように生きなさいと、私の夢を応援してくれました。この時、赤裸々に話すのが照れくさかったけれど勇気を出して伝えられて本当に良かったと思います。

後悔は、上げだしたらきりがないくらいたくさんあります。もっと一緒に話をすればよかった、もっと一緒にご飯を食べればよかった、もっと一緒にいろんなところに遊びに行けばよかった、もっとたくさん祖母のために尽くしてあげればよかった。

今の私ができることは、祖母が遺してくれたものを守ることと、私が私らしく生きていくこと。祖母に恥じない生き方をすること。祖母にしてあげられなかった分、別の困っている誰かに心を尽くしていくこと。そしてなにより、私自身が幸せでいること。そのための努力を惜しまないこと。

後から知ったことなのですが、祖母は若い頃たくさん本を読んでいたようなのです。まるで今の私のように。あぁ、やっぱり何か、血縁というだけではなく何か別の意味でも、大きな影響を与えている繋がりが私たちにはあったのだなぁと感じます。祖母の孫としておよそ四半世紀生きられたこと、祖母の背中から学んだこと、祖母と過ごした数々の思い出、祖母を失い人生で一番泣いたあの夜のこと、祖母の死をもって感じた全てを、どうか忘れずに生きていきたいです。

明日は告別式。本当にいよいよお別れだけれど、祖母の魂はきっとこれからも私を見守っていてくれると信じています。だから、寂しいけど、悲しくはない。たぶん。強がりかもしれないけど、だって、そうじゃなきゃ、人は前に進めないと思うから。

もし魂がめぐりめぐって命に宿り、また人として産まれてきたとしたら、その命を守れる存在で在りたいなと思う私です。保育の勉強頑張ろう。