絶頂は今

好奇心と探究心。

性のあれこれ


 突然だが、私は生物学上女性である。
 昨今、LGBTやSOGIというように性のあり方は多様になっている。

 ①生まれ持った体の性
 ②自分が認識する自分の性
 ③社会から扱われたい自分の性
 ④言葉遣いの性
 ⑤服装の性
 ⑥社会的に果たしたい役割の性

 一口に"性"と言っても様々な要素から一人一人オリジナルの性が成り立っている。
 上記の性を私自身で考えるなら

 ①女性
 ②基本は女性 時々どれでもない
 ③どれでもない
 ④どれでもないが強いて言うなら女性的
 ⑤女性
 ⑥男女ともである

 と現時点での性自認はこうなるだろう。女性の面が多いが、女性はこうだから~というような性別で判断されたり扱われることにとても嫌悪感を抱いている。私は女性である前に、一人の人間である。
 ⑥については、子どもを守る母性的な役割を果たしながら結婚はせずにバリバリ働きたいので男性的な部分と女性的な部分の両方かと感じている。
 私は、自分の性をとても大切に思っている。ゆえに自分の性を他人に消費されるのは我慢ならないし、蔑ろにされるなどもってのほかだ。

 性指向についても複雑で、好きになる対象は性別を問わない。所謂、「好きになった人が私の好きなタイプ♡」ってやつだ。
 しかし、これまでの傾向としては男性が多い。ただ、その男性は自分と直接関わりのない人ばかりである。
 つまり、それらはほとんどフィクションに近く、現実の目の前にいる男性は脳内で役柄を与え間接的に関わることでなんとか関われる状態なのだ。
 例えば、この人は男性である前に私の上司である。この人は男性である前に私の職場の同僚である。といった具合だ。
 そうするとその役柄をまとったその人だけを見れるし、私自身も女性である前にそこで働く従業員という役柄をまとって関わればいいだけなので楽なのだ。
 この"役柄"は制服のようなものかもしれない。

 こんな具合で、好きになる傾向はありながら男性への根本的な苦手意識が拭えない私である。どうしてこんなにも現実の男性を自身から遠ざけてしまうのか、冷静に分析してみた。

 説その1 小中学生の頃、男子にいじめられたことがきっかけで苦手意識が芽生えた。

 説その2 潜在的に、自分の性を脅かす男性が苦手という意識が存在している。

 説その3 単純に身体的な力の差で勝てない相手=天敵という考えから、生物としての恐怖感がある。

 説その4 歴史的背景を鑑み、武力ではなく言葉での話し合いで問題を解決するのが難しそうという偏見。

 説その5 前世で男性にひどい目に遭わされた。

 身体的な差や心から信頼できる男性と出会ったことがないことが主な原因だと思うのだが、そもそも信頼って性別で判断していたらできないことだと思う。
 つまり、その人を男性である前に一人の人間として尊敬できるか信頼できるかということになるのだが、いくら尊敬していてもどこかで身体的または性的な男性性を感じると一気に嫌悪感が出てくるのだ。私はそこを見ていたわけではないのだから。

 総括すると男性っぽくない男性が好きというよくわからない結論になる。
 確かに好きな人の見た目のタイプは女顔、丸顔、低身長、童顔だ。かっこいい人よりもかわいい人が好きで、固い人より柔らかい人が好きだ。更に中身がかっこいいとキュンとする。そうだ、和泉三月だ。

 えぇ~~~~~~?三月ちゃんが最強じゃ~~~~~~ん!?というオタク丸出しの結論になってしまった。和泉三月ちゃんあまりにも理想そのもの……

 誰にでも、理想はあるはずだ。そこにどれだけこだわるかは人それぞれだと思う。私は、ガッチガチにこだわるタイプだと自覚している。だって山羊座だもーん。

 結婚願望がない私でも、もし結婚するならこんな人が良いなぁなんていう妄想くらいはする。月星座魚座だからね。
 そうすると一番に出てくるのが「性の匂いがしない人」なのだ。同じ家で暮らしていて、生活に性的な要素がないこと。
 家族のあり方については村田沙耶香さんの小説の影響をかなり受けており、結婚生活において一番に求めることは「安定と安心」なのだ。同じ空間にいて、警戒しなくて済む存在でないと結婚はできないと思っている。声が柔らかくて、笑顔が優しくて、一緒にいて癒される人。威圧で人を操作するような人とは対極にあるような人だ。刺激は趣味で摂取するので。三月ちゃ~~~~~~ry

 他にも、フェミニスト(ここでいうフェミニズムとは、 性別を問わず皆がその人らしく生きられる性差別のない社会を目指す思考のこと)、一緒に哲学や政治、世論について議論できる人、本をたくさん読む人、保育とこどもの発達に理解がある人、一緒に運動してくれる人、経済的に安定している人とか挙げればきりがないかもしれない。

 そんな人いるわけないよ~~!現実見なよ~~!とか言うような人とは価値観が合わないですね。もしいたらそっと心の扉を閉じます。信頼は地に。そしてそれは二度と回復することはないでしょう。
 理想を持つことも、理想にこだわることも、私の自由であり誰かに指図されて良いものではない。もちろん、私も誰かの思想や理想に口出しをする権利はない。

 現実なんて日々痛感してますよ。それでも、理想や夢を掲げなければ私が私らしく生きられないのです。そこも含めてまるごと私の生き方、考え方を尊重してくれる人しか"何者でもない私"の周りにはいないと信じています。