絶頂は今

好奇心と探究心。

膨張した胸が痛む


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 村田沙耶香さんの「タダイマトビラ」を読んだ。

 シンプルに、ゾッとした。

 "家族"に飢え、"家族"を渇望し、"家族"を脳内で補完し、"家族"を維持するために努力する主人公が、"家族"という名の幻想から一気に目が覚めて人間ではなくヒトに帰っていく描写が実に村田さんらしくて脱帽した。
  ひとつきぶりに摂取した村田さんが描く物語は、私の脳にガツンと衝撃を与え、ぐったりするほどずしんと心を重くした。

 今までで一番「自分が嫌になるから読まなきゃ良かった」と「読まなければそれに気づかないままだった」がごちゃ混ぜで、考えれば考えるほど泥沼で、何が正しくて何が間違いなのか、どれが正解でどれが幻想なのか、本当に何もかもがわからなくなる感覚に陥った。
 村田さんが描く、日常にはびこる幻想が毎度毎度本当にえぐい。そこに嫌でも気づかされる。

 私もヒトが生み出した「人間らしい温もりのある家族というコミュニティ、営み」を実は誰よりも求めていて、だけどそれがすぐに手に入らないから疑似体験できる仕事を選んだのかと思うと、自分にゾッとした。怖い。
 「違う、そんなつもりじゃない、純粋にこどもが好きだからこどもたちのために自分ができることがしたくて選んだんだ」って反論しても、「本当に?内心は、こどもたちに自分の母性を求められることで自己満足したいだけなんじゃないのか?」って問い詰める声が聞こえてきて自分で自分を信じられなくなる。

 ずっと、憧れていたんだと思う。優しくて素敵なお母さんがいて、かっこよくて頼りになるお父さんがいて、二人はとても仲が良くて家族皆がなに不自由なく幸せに暮らしている、そんな光景を。たぶん、昔からずっと。その光景の中に、疑似でも入り込みたかったのだ。

 もしそうなら、私は壮大な"おままごと"で理想の母親を演じることで満たされたい幼女みたいだ。
 こどもたちを利用して、ずっと欲しくてたまらなかった自分の中の「家族欲」を処理しようとしているだけなのか。
 本当の結婚はせず、あくまで温かな家族のようなおままごとの中で満足したいのか。

 母親というものがどういうものなのか、私には本当の意味では一生理解できないし、ずっと一緒に暮らしてきた父親も私が理想とする父親像とは程遠い。
 笑い合う声も聞こえない、温かな食卓も無い、ただヒトが何匹か同じ巣で生きているだけの場所。それで良いと思ってた。だけど本当はドラマで見るような温かな家族の光景を、誰よりも渇望していたのかもしれない。

 しかし本当にそんな「優しくて素敵なお母さん」や「かっこよくて頼りになるお父さん」は存在するのか。男性だの女性だの性別というカテゴライズで区別され偏見を持たれることを嫌っている私が、誰かを「母親」「父親」とカテゴライズして偏見を持ってそこからずれただけで勝手に失望するのか。
 なんて、身勝手なんだろう。

 自分の女性性や母性を離さないように必死になって掴んで育てて、恋愛も結婚も興味ないと言いながら異性に自身のそれらを否定されることを恐れ女性であることに固執している中途半端な存在が今の私だ。
 結局私は何になりたいんだろう。きっと何者にもなれないのだろう。唯一無二になりたいくせに、誰かにカテゴライズされた上で必要とされたいだなんて。
 村田さんがあるインタビューで「"見初められる"ってなんておぞましい言葉なんだろう」とおっしゃっていた。私もそう思っていたはずなのに無意識のうちにそれを望んでいたのか。

 物語の終わりかたも私の思考の終着点も見えなくて途方にくれている。今見えている部屋の景色でさえもすべて幻想なのか。

 ホルモンが放出され、いつも以上に膨張した胸が痛む。私の女性性は、母性は、一体何を目指して膨らんでいるのだろうか。

STARTING OVER


 高橋優のライブに行って来ました。

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 高橋優 全国LIVE TOUR 2018-2019「STARTING OVER」横浜アリーナ公演。
 今回で、優さんのライブはフェスやFC限も含めてなんと15回目でした。私そんなに行ってたのか~~と数えながら感慨深くなりました。

 約一年ぶりだったけれど、す~~っごく久しぶりな感覚でした。この一年間は私にとって濃い一年だったし、私自身の変化が大きかったこともあり、私にとっての優さんの価値観も以前とは異なるものになっていて、ある意味では新鮮でもありました。

 一曲目は、ズドンと音が雷のように落ちて始まったルポルタージュ。一曲目からゴリゴリのバンド曲で瞬時に会場を"高橋優ライブ"の空気に。がしっと心を掴まれた。最高だ。
 二曲目、ニューアルバムを聴いて一番ハマった大本命ストローマン。あの、本当もう、生で聴けて最っっっ高でした………超~~ロック。ここまでで既にチケット代が実質タダになった。
 三曲目に定番の太陽と花。あのイントロでゾワゾワっと高橋優ファンの血が騒ぎだし、赤い照明で完全に高橋優色に染まる気がする。正直何度も聴きすぎてお腹いっぱいではあるけれど、高橋優だなぁ~~!と改めて感じた曲だった。

 MCでバンドメンバー紹介。オッハー!と横浜出身の香取慎吾さん(慎吾ママ)のマネをするバンメンさんたち。オッハー!知らなくて変な風になっちゃった池窪さん。やり直すもののやっぱりうまくできない池窪さん。控えめに言ってもかわいすぎる。
 ニューアルバム、そしてこのツアーの表題にもなっている「STARTING OVER」について優さんが想いを語る。いつだって今この時が何度でも再出発できる夢のスタート地点という意味でつけたそう。

 四曲目はアルバムの一曲目に収録されていた美しい鳥。悲しい曲でもないし、泣ける曲じゃないのに、気づいたら涙がこぼれていた。アルバムを聴いていた時に泣いたことなんて無かったから自分でもびっくりした。メロディが美しくて、優さんの歌が心にじわりと染みてきて、あぁ、感動して泣いているんだって気づいた。虚無感で凍りついていた感情が溶けだして、涙が流れたのだと。
 その後はaquarium、 STARTING OVERと続いて高橋優節全開フルスロットル。これぞ高橋優だなと。羅針盤もまた聴けて良かった。去年のツアーの時とはまた違った気持ちで聴けた。

 そしてMCでエゴサの話~からのいいひと!優さんのそういうところが大好きだなぁとやっぱり思いました。歌い方かわいかった。照明が暗くなったところで真顔でヒヒヒッて言う優さん本当そういうところです(大好き)
 続いてシンプル、キャッチボール。心に沁みます沁みます。戦闘体勢でがちがちの武装をほどいてくれる優しい歌です。キャッチボールは曲中ずっと泣いてた。ボロボロ涙が止まらなかった。
 後半は象とこどものうたが楽しすぎた。これこそライブじゃなきゃ体感できない醍醐味だなぁと。歌に熱くなりすぎて優さんがどんなんだったか記憶にない。
 アンコールが終わったあと、会場にいる全員ひとりひとりに届けるように時間をかけて丁寧に挨拶していた姿が印象的だった。やっぱり彼は"いいひと"だと思った。たくさんの人に愛される優しくてかっこいい、私が尊敬する真っ直ぐな人に変わりなかった。

 これまで何度も何度も経験してきた優さんのライブ。代わり映えしないセトリの構成や常連曲に辟易しているのは否めないが、それでも、ライブに行くとまたこの場所に戻って来たいと思ってしまう。きっとこれからもそうなんだろう。
 優さんを好きになって4年。飽き性の私がこんなに長く、同じアーティストを見ているというのは本当に優さんしかいない。
 彼が何よりも一番で、好きで好きでたまらなかった時とは異なるベクトルではあるが、やっぱりまだ好きなのだ。
 他に好きなものがたくさんあるし、日常的に優さんの話をすることがほとんど無くなった。彼の楽曲や彼自身に良くも悪くも執着しなくなった。それがかえって私の気持ちを楽にさせた気がする。私にとって心地の良い距離感で好きでいられる今が一番楽だなと感じている。

 ライブが終わったあと、帰り道で友人にも話したことだが、これから先の人生にもたぶん私の身近なところに優さんの歌は存在していて、万が一彼が歌わなくなったとしても、彼の歌は私の中にずっと存在し続けて、私が死ぬときまで彼の歌と一緒に生きていくんだなぁと思った。
 優さんの歌を常日頃から聴いているわけではなくなった。優さんの歌を聴かなくても幸せで楽しい時間が増えた。けれども、つらい時やどうしようもなくなった時、私が最終的にたどり着くのはいつだって優さんの歌だ。優さんの歌がどん底でも救ってくれると知っているから、私は安心して日々を過ごせるような気がするのだ。

 4年前。優さんを好きになったばかりの当時の私は、もっともっと優さんのライブに行きたくてうずうずしていたし、もっともっと深くまで優さんの歌を自分の中に染み込ませたかった。早く初心者マークを取りたかったし優さんのライブに来慣れた中堅ファンみたくなりたかった。
 あぁ、あの時の私よ。焦らなくても大丈夫だったよ。 初々しかった20歳の私も気がつけば24歳になり、4年かけてあの時すぐにでもなりたかった姿にいつの間にかなっていたよ。 アンコールのロードムービーを聴きながら、私もここまできたか、としみじみと感じた。

 私は今、優さんのファンなのかというとそうでもない気もする。けれど、私の人生を語る上で決して欠かせない存在であることは間違いない。これまでも、これからも。
 楽しい時間を本当にありがとうございました。また、会いに行きます。

ルポルタージュ

ルポルタージュ

  • 高橋優
  • ロック
  • ¥250

2月の備忘録


 2月最終週に入ってしまった。
 このままでは何も進歩のない月になってしまいそうだ。ここまでは、とりあえず休んでたし遊んでたし成長は全くしていないけれど楽しかった。その反面なんでこんなに自分に甘いんだろう~~って自己嫌悪が付きまとっていた。

 すでに今月の記憶が曖昧になりつつあるので今のうちにブログに書き留めることにしました。精神がふわふわしてる上に限界オタクのテンションなのでいつも以上に語彙力ないです(当社比)

 いくぜ!!まずはこいつだ「約束のネバーランド」~~~~~~!!!!!
neverland-anime.com
 1月から始まったアニメで足を取られ、今月頭に原作コミックスを読み沼inした今私の中で最も熱い作品である。さすがジャンプ作品…面白くないわけがない…推しはノーマン寄りのフルスコア組とフィル。アニメと同じペースで原作も追ってるので常に続きが気になる…ノーーーーーマーーーーーーン……………cv内田真礼が最高of最高…………………
 孤児院育ちの子供たちが残酷な運命に逆らい、抗っていくしんどい作品です。子供たちがそれぞれの想いをかかえながら敵と対立、その駆け引きや頭脳戦がたまらなく面白いです。

 血界戦線食戟のソーマ僕のヒーローアカデミア約束のネバーランド………ジャンプって本当に面白いな………
 そのうちハイキュー!!にもハマりそう(予言)
 なんてったって主人公cv村瀬歩だかんな……あゆむらせ大好き……斉藤壮馬氏も石川界人くんも出てるし時間の問題かな~~;-)

 そして中毒のようにのめり込んだ「村田沙耶香」ワーーーーーーーールド
 村田さんとの出会いは「コンビニ人間」だ。読書記録を見たら読んだのは7ヶ月前だった。とにもかくにもこの作品がめちゃくちゃ面白くてうわぁこんな物語が書ける作家さんがいるのか!と衝撃を受けた。
 それからずっと他の村田作品も読みたいと思っていたのにタイミングがなくてずるずる過ごしていたけれど、先月からの読書ブームに乗っかって最近また村田作品を手に取った。

 コンビニ人間の次に読んだのが「しろいろの街の、その骨の体温の」。この作品が私が沼にハマった決定打。
bookwalker.jp
 小学生、そして中学生特有の文化、人間関係、閉鎖的な感情、性の目覚め、スクールカースト…主人公は私か?って感じるほど自分の過去の似たような記憶がフラッシュバックされてかなり古傷をえぐられたしんどい作品。読み終えた時、あまりにもしんどくて吐きそうだった。
 だがしかしそれが良い…そのしんどさこそ村田作品の魅力…えぐいし苦しいのに読み進める手が止められない…辛いのに止められない激辛料理みたいなものだ。辛さの向こうにある旨味を求めてしまう激辛愛好家の気持ちとほぼ一緒。

 次に読んだのが「消滅世界」。これもなぁ~~~~~~本当にやばい。個人的に一番読み返したいと思った名作。
bookwalker.jp
 清潔な夫婦。利害が一致している家族。時代の流れに順応していく人々。ヒトはなぜ恋愛をするのか、なぜ結婚するのか、性行為は本当に必要なのか、我々が当然のように信じてるいろんな価値観が根底からひっくり返される近未来SF小説ってかんじ。
 正直、表現は気持ち悪いし基本ぶっとんでる話なんだけど、私たちと全く関係のない話ではないと感じさせるようなところが村田さんの凄いところでな~~~~!!!将来本当にこんな世界がくるんじゃ…って考えさせられる。
 恋人や家族の定義が揺さぶられ、男女の差もなくなった世界で出産や子育ての常識も変わっていく。何が正常で、何が異常なのか。

 その後、「ハコブネ」と「殺人出産」も読了。どちらも村田ワールド全開だった。殺人出産は短編集で、消滅世界のその先の世界の話ってかんじで面白かった。ただどの物語も短いから物足りなさはあったけど、さくっと読めるので長編がしんどい人にはこっちの短編集がおすすめ:-)
 今図書館で「地球星人」を予約待ちしていて、あと「マウス」も読みたい………村田ワールドが癖になってどんどん読んでしまう~~文体が読みやすくてすいすい読める。最高。好きすぎて大体どの本も1日で読破してしまう。

 最後に、待ってたぜアイドリッシュセブン~~~~~~~~~~(五体投地)
youtu.be
 もうね、宗教ですこれは。先日、約1年ぶりに新章が公開されたんですけどあまりにもタイムリーな内容でうわぁぁああぁぁぁあああってなった。アイナナをプレイしているTLのジャニオタが続々と瀕死になっている。わかる。アイドルファンの心をえぐることでお馴染みのアイドリッシュセブンだもんな……ナギ~~~~~~~~~~……………………
 ただ、私は読んでいてなんだこれすっげぇ面白ぇ…ってなったのでもう痛覚がおかしくなっているんだと思う。唐辛子と村田作品で鍛えられた気がする。

 アイナナを読んで改めて思ったのは、やっぱりアイドルって良いなぁってことで。男女問わず、アイドルは何かを削ったり何かを懸けたり何かを産み出したりして夢を与えてくれる存在だと思ってて、我々はそれを消費しながら元気だったり勇気だったり希望を受け取っている。
 ファンがアイドルに返せるものって好きって気持ちとか応援する気持ちとかになるわけだけど(その気持ちをどう表現するかは個々の自由であるが)、アイドルが望むような形で届く気持ちっていうのはきっと本当に繊細で脆くて、ほんの少しずれただけで全く違ったものになってしまうものな気がする。だからこそファンは常に細心の注意が必要で。そういうことをストーリーを通して改めて考えさせられるのがアイドリッシュセブンです…………
 十人十色のアイドルたちがそれぞれの事情を抱えていて、そんな彼らが様々な壁を乗り越え、アイドルとして奮闘していき、人間として成長していく激熱ストーリーです。漫画だったら絶対ジャンプっしょ…(偏見)
 今なら音ゲーのミッションをクリアしなくても無料でストーリーが全部読めちゃうので軽率に始めてくれ……………アイナナはいいぞ

 あと先月推し(そま氏)のライブのチケットが取れなくてかなりショックだったんですけど、アイドリッシュセブンのセカンドライブは無事にチケット取れました~~(泣)しかも双子の誕生日……嬉しい……お友達と今年もナナライ楽しんできます:->

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 それから、先日葛西臨海公園に行ったんですけど、すっごい楽しかったです。公園って落ち着きますよね。あとやっぱり海の近くは癒されますね。いつか海の近くで暮らしたいなぁ。

 病んでるわけじゃないけれど、時々純粋に何のために生きているのかわからなくなる時がある。私が信じてる私の夢も本物かどうかわからなくなる。だけどきっと"本物"なんてこの世にはないのだろう。
 そういう世界で、人々は生きていくための拠り所を見つけて自分たちの世界を作り上げて、その中で生きているのかもしれない。それは宗教かもしれないし、社会への貢献感かもしれないし、家族かもしれないし、アイドルかもしれないし、別の生き物たちかもしれないし、自然かもしれないし、洗脳かもしれない。
 その中で、私は何を拠り所にして生きていくのか時々もやがかかったように見えなくなってしまう。これだ!って信じていたものでさえも、ぼやけてしまう。

 私の拠り所はなんだろう。前世や来世を信じるならば、私は現世で何をしたくて生まれてきたのだろうか。

本が好きです。


 早いもので、2月です。
 新しい年が始まったばかりの1月は、苦しい月だった。反省点も多い。

 年が明けてすぐに、人生初のボランティア活動をした。学ぶことがとても多く、自分の成長に繋がるような発見もあり、出だしは好調のように思えた。
 しかしその後、風邪と同時に食中毒にかかり体調が優れない日々が始まる。友人との約束も守ることができず、申し訳なさで潰れてしまいそうになった。そしてちょっと回復したと思ったらまた風邪をぶり返し、喉と鼻をやられ声まで出なくなる始末だ。毎日頭痛と身体のだる気と鼻水に体力を奪われ続け、声も出ないのでコミュニケーションが上手くとれない。気力もなくてやりたいことが思うように進まない。
 おまけに推しのライブに落選し精神的に追い込まれ、思考がネガティブの波にのみ込まれ、自己嫌悪の悪循環のスタートだ。
 これだけ書き連ねると本当に苦しかったなと改めて思わされる。1月にやり遂げたことはボランティアくらいで、一番学んだことは健康がいかに素晴らしいかということだ。とにかく毎日しんどくて苦しかった。

 1月のタロットの課題が見事的中した。
「期待通りの結果が訪れない」「壁に突き当たる」「停滞期」「ちぐはぐ」
 まさにそんなかんじであった。そんな中でも、継続していたことがある。それは読書だ。
 実は数年前から読書にハマり、マイペースながら今も読書を楽しんでいる。1月は4冊読むことができた。

 もともと本は好きだった。小学生時代には年間で一番本を読んだ(学校の図書館で一番本を借りた)ということで賞状をもらったほどだった。あまり記憶はないのだが、たぶん図鑑とか漫画とか好きでよく読んでいたと思う。読書が好きというよりは、本の中の絵や写真が好きで本を眺めるのが好きだったと思う。そして本を持った時の質感も好きだった。
 その後も、学生時代には学校の図書館へよく出入りし、今でも市立図書館や書店に足しげく通っている。本に囲まれていると私の世界が満たされるような幸せな気持ちになれるのだ。

 "本を眺めるのが好き"から"読書好き"になったのは、私が20歳の時に読んだ一冊の小説がきっかけである。西加奈子さんの「漁港の肉子ちゃん」だ。何気なく書店で見かけたこの本を、何かに導かれるように手に取り読んでみたら、びっくりするほど主人公きくりんの境遇が自身のそれとそっくりで、きくりんに共感して号泣してしまった。まさに運命的な出会いだった。
 本との出会いはその時の私に必要な出会いなように思えるし、事実私は本にたくさん救われたし、そういうわけで精神的にしんどくなると自然と本を手にするようになった。

 本を読むと、物語の中に自分を見いだすことができると思っている。自分自身を、客観的に知れたりもする。例えば、小説を読んでいてドロドロとして醜いような感情を主人公が感じていると私も同じように感じて、私にもそういう感情があるのだと気付く、といった具合だ。または、哲学的なお話を読むと自分の考え方が普段どれだけ狭いものだったかを思い知らされる。

 敬愛する石井ゆかりさん曰く、人は「自分自身を見つめる」状態ではなかなか自分のことがわからないそうだ。何かと関わったり誰かと繋がったり、そうやって自分以外のものに真剣に働きかける過程で、どうにも変えようのない「自分」というものを見いだし、衝撃的にそれに出会うことになるのだとか。
 最近、この言葉の真意が読書を通してわかったような気がする。

 昨夜、梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」を読んだ。私はまた主人公のまいちゃんに自分を重ね、まいちゃんを通しておばあちゃんとの日々を過ごし、まいちゃんがモヤモヤしたり苦しくなると私の心も締め付けられ、最後はおばあちゃんからのメッセージに号泣した。魚座体質の本領発揮だ。

 私には、憧れの人物がたくさんいる。紅緒*1みたいな愛に生きる真っ直ぐな人になりたいし、トンイ*2みたいな信念を貫いて世のため人のために自分の持っているものを惜しまない人になりたいし、肉子ちゃんみたいな面白くて一緒にいるだけで元気になれるお母さんになりたいし、まいちゃんのおばあちゃんみたいな優しくていろんなことを教えてくれるおばあちゃんにもなりたい。

 理想は高いけれど、そこは山羊座の領域。目標に向かって進むことしかできないですから。時々苦しくなるけれど、それでも私の憧れや夢は諦められない生きる原動力だから。

 タロットカードによる私の2月の課題は「悪魔(逆)」が出た。「目が覚める」「反省」「教訓」「自分自身のネガティブな姿を客観視」といった意味だ。
 1月に感じたこと、学んだことをいかして2月も自分なりに頑張っていきたいですね。まずは健康第一。息が詰まった時は、また大好きな本屋さんに行きましょうかね。

 私はやっぱり本が大好きです。

*1:はいからさんが通るの主人公

*2:韓国ドラマ「トンイ」の主人公

2019年


 明けました。新年。

 何度経験しても慣れることのない年末年始の空気。施設もお店も街中を行き交う人々も、「いつもと違う」空気の中、慌ただしくも粛々と。そんな独特な雰囲気に毎年圧倒される私である。

 2018年は、私にとって今後の人生を変えるような激動の年になった。
 占星術にハマったり、一人で海外旅行に行ったり、それから一番大きかった変化は、学校に入学したことだ。

 一度は挫折した夢。自分には無理だと諦めた夢。そう思っていたけれど、ずっと胸の奥で消えなかった夢。その夢をもう一度叶えたくて、働きながら学べる通信制の学校に入学した。
 昔からずっと、自分の「好き!」という気持ちに真っ直ぐだった私は、24歳を迎えた今ようやく好きなことをするために勉強を始めたのだ。
 
 とはいえ、自分の好きなやり方でしか頑張れない性分が裏目に出てしまい、壁にぶち当たったりなんだりしたのだけれども、今はなんとか軌道修正をして友人に協力してもらいながら日々過ごしている。いつも本当にありがとう。

 私の敬愛する占い師しいたけ.さん曰く、山羊座は「我流」「マイルール」「マイ美学」を持っているらしい。思い当たる節しかない。
 何にでも長所と短所があって、それは表裏一体で決して離せるものではなくって、裏目に出ると毒になったりするけれどそれは一際輝く場所だったりする。
 それは、占いを好んでするようになって一番感じたことだ。どの星座、どの惑星、どのカードにも長所と短所があって、だけれどそれは人々の主観次第だということも。

 ある問題をどう解釈するかはその人次第だし、考え方や見方を変えるだけで違う風に感じたりするかもしれない。
 年が明けてすぐに2019年の私の課題をタロットに尋ねてみたら、かなり厳しく言われたのだ。それを「あぁもうダメだ何やってもうまくいかないんだ」と悲観的になって何もしなくなったら、それこそダメになると思った。

 1月の課題は「運命の輪(リバース)」が出た。期待する変化が訪れないとか変化するまで時間がかかるとか我慢が必要とか停滞気味とか、そういった意味のカードだ。
 新年早々苦しい印象を受けたのだが、それがわかっていれば先を見据えて粘れるような気がした。
 わかっていたのに、わかっていたのにも関わらず、無理して頑張った結果、私はまんまと体調を崩した。目先の課題に必死になるばかりで体調管理を怠った報いだ。あぁ調子に乗るなよって言われていたのに。
 とまぁ新年早々やってしまった感が凄いのだが、これも経験だと受け止め、まずは療養することに専念しようと思う。

 先日、初詣に行った際におみくじを引いた。タロットからの忠告もあったので厳しい結果が出ると覚悟していたけれど、結果はなんと大吉だった。

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 「あなたの選んだ道は間違いありません。」この言葉にどれだけ救われたことか。
 人間というのは不思議なもので、さっきまで明るく前向きだったのに次の日には絶望していたりする。常に期待と不安が渦巻いていて、だからこそ目に見えないものの力を借りて勇気をもらうのだろう。

 私は毎年、引いたおみくじは大切に手帳に貼って一年通して見返せるようにしている。以前にどこかでそうした方がいいと聞いたからだ。そして、一年の終わりにはそれを見ながらあぁ当たってたなぁと実感する。
 タロットもおみくじも、きっと気持ちを込めてやれば目に見えない「かみさま」が真摯に答えてくれるのだと信じてる。
 もし自分が「かみさま」だったら、どんな人の願いを叶えたいと思うのか?という自問をよくする。そして今の自分はその願いを叶えたい人のイメージに近づけているのか?
 そんなことをいつも考えながら、私は私を大切にして、私の大切な人たちを想い、小さな夢から大きな夢まで大切にしようと努力している。

 本年も、どうかよろしくお願い致します。

セルフカラー

 夜、布団に入って考え出すと頭の中で言葉やイメージがぐるぐると駆け回って一向に眠れない質である。

 昨晩も、直前に見たアニメが衝撃的で、そのことについてああだこうだ自分なりに考察していたら時計の針は3時を示していた。
 そういうわけで寝不足だった今日の私は気づけば力尽き、日付を跨いだ頃に目が覚め、また就寝しないまま3時を過ぎてしまったのだ。
 中途半端に眠ってしまったせいで全然眠くない。ならばもういっそこのまま朝を迎えてしまおうか。そう思って今このブログを書いている。


 今日(正確には昨日だが、感覚的にはまだ今日なのだ)は人生で初めてセルフカラーをした。
 自分で言うのもなんだが、私は比較的冒険しないタイプの学生時代を過ごしていた。
 初めて髪の毛を染めたのも22の時だったし、未だにピアスホールは開けていない。"真面目ちゃん"でいる方がクールで素敵だと思っていたのだ。先生に注意されるようなバカみたいにふざけている同級生たちを斜に構えて見ていて、あの人たちとは同類じゃないと思っていた。黒髪ロングのメガネ少女。それが学生時代の私だった。
 そんな私だが、ここのところそういうこだわりを打ち砕きたい気持ちに駆られている。木星が射手座に入った影響か、個人的なジュピターリターンの影響か、その両方か、とにかく今の私は冒険心に満ち溢れている。何か自分の固定概念をガラッと変えたい。そんな気持ちでいっぱいになったのだ。

 2年前に染めた髪の毛たちは度重なるヘアカットでほとんどサヨナラしてしまった。今ある髪の毛たちは、正真正銘私の地毛たちだ。
 2年前の人生初カラーはお洒落な友人(金星てんびんさん)に紹介してもらって染めた。美的センス抜群な友人のおかげで大満足な結果だったのだが、めんどくさがりやの私はそれを継続するやる気がおきず結局その後は地元の1000円カットで髪の毛が伸びては切っての繰り返しになった。
 そして今、2年ぶりに染めたくなった。だけどもまた美容院に行く勇気はまだない。ならばとりあえずセルフカラーにチャレンジしてみよう!かくして私は人生初のセルフカラーに挑んだのである。

 初めてのセルフカラーは、結果的になんとも言えない仕上がりになった。泡でくしゅくしゅする、初心者向けのものでやってみたが、パッとみたかんじあまり変化がない。光に当ててよく見れば染まっているような気もしなくもない。結論はというと、やはりこういうのは美容院できちんとやってもらうのが一番なのだなと学んだ。
 そもそもなぜ美容院を敬遠したのかと言えば、私はあのキラキラした空間があまり得意ではないのだ。皆が美しくなりたくてやってくる場所。そしてそこで人々を美しくしてくれるプロのホームグラウンド。それがなんとも私には恐れ多く感じるのだ。席に座るやいなや「とりあえずちゃちゃっとやってくだせぇ!」というような美にあまりこだわりがない女なので場違いなんじゃないかと思ってしまう。
 おまけにメガネを外すと視界がボヤけて雑誌も読めないので施術中の暇つぶしは美容師さんとの会話がメインになってしまう。あの時間は私にとってかなりハードルが高いのだ。
 しかしやはりセルフカラーには限界があり、こういう場合はプロにお任せするのが一番良いのだと学んだので、冒険心があるうちにあの空間にリトライしようかと思う。

 今回のセルフカラーや先日のオーストラリア一人旅など、最近の私は「今までやったことのないことにチャレンジすること」にとても意欲的だ。そしてその結果は、私に新たな発見をもたらしてくれる。
 これまでの人生は保守的かつ受動的にに生きていたのも相まって、この未知への挑戦や知らなかったものを知れる喜びに言葉にできないエクスタシーを感じている。
 年始には、これまた人生初のボランティアに参加することが決まっている。今からとても楽しみでしかたがない。

 次は何をしようか。何にチャレンジしてみようか。何か面白そうなことはないか。今の私は常にそんなことばかり考えている。
 人生は一度きり。斜に構えていたらあっという間に人生が終わる。オードリー若林さんの教訓を胸に、後悔しない生き方をしていきたいものです。



 #nowplaying
 スタンドアローン / 斉藤壮馬

スタンドアローン

スタンドアローン

  • 斉藤 壮馬
  • アニメ
  • ¥250

うお座とエッセイ

 

 

 

 昨日と今日で、読みたかったエッセイを3冊読了した。

 

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 読み終えた順はこうである。

 

しいたけ.の部屋 / しいたけ.

健康で文化的な最低限度の生活 / 斉藤壮馬

ナナメの夕暮れ / 若林正恭

 

 どれも著者の人柄がよく出ていて純粋にどれも面白く、そしてすぐさまその影響は全身に染み渡った。

 話は変わるが、私は西洋占星術的に言うと生まれた時の月はうお座にあったのだ。この人の特徴は物事に境界線がなく、すぐに人や物の影響を受けて一体化するそうなのだ。

 確かに自覚はある。意見はコロコロ変わるし(おまけにそれを覚えていないから尚更タチが悪い)、変えているつもりはないのにその時見ていたもの聴いていたものにすぐ影響されて話し方や使う言葉まで変わるのだ。そういう時は気に入ったワードやフレーズを真似て使いたがったりするので大変わかりやすい。韓国や沖縄に滞在して戻ってきた時には、友人に「なんか日本語のイントネーションが変だよ」と言われたりした。今はたぶん上記の本を書いたお三方の文体に影響された文体でこの文章を書いている。

 そんな私なので、エッセイを立て続けに読んだ日には私もこんな文章を書いてみたい!という衝動にかられたのだ。とはいえ今までそのようなものは書いたこともないしどう書けばいいのかもわからない。それでも今この瞬間の感情を文章にして残しておきたくなったのだ。

 

 この3冊を読んでわかったことは、「好きという気持ちは健康的になれるし運も引き寄せるし余計な自意識を手放せて生きやすくなる」ということだ。なるほど。そうか。ふうん。

 考えてみれば私は常に何かを「好きでいる」気がする。私をよく知っている友人たちにもよくそう言われる。飽きっぽいので好きの対象はよく変わっているのだが、何かを好きでいることは決してやめない。ちなみに最近好きでハマっているのはYouTubeで英会話が上達できそうな動画を見ることだ。先日オーストラリアに旅行した時、現地で出会ったスマートに英語で会話する日本人に憧れて、私もあんなふうにかっこよく英語で会話したい!と早速影響を受けている。ちょろい。単純。

 「好きでいる」ことのメリットは体感済みである。毎日、1日のどこかでは必ず楽しい時間がある。例えば、朝好きな音楽を聴きながら歯磨きする時間。職場の同僚や友人と趣味の話で盛り上がる時間。帰宅して真っ先に見る忍たまの時間。好きなアニメやドラマ、映画を見る時間。読書する時間。寝る前のネットサーフィンをする時間。こういった時間は私を素にしてくれるし、シンプルにすごく幸せなのだ。

 自分なりのリラックス方法を知っていると所謂どうしようもない状態にはなりにくいのではないかと思う。そういう時は大体思考が狭まってどんどん悪い方に連鎖していっているような気がする。何か好きなことがあるとその連鎖を一旦停止できると思うのだ。そして熱中、夢中、没頭してリフレッシュした思考でさぁここからどうしようかと考えられるんじゃないか。そう信じているから私は「好きでいる」ことをやめないんだろう。

 

 先日、数年ぶりに小学校の時の同級生と会った。突然連絡してきたのでびっくりして話を聞いてみると、彼女は自信を無くして自分の居場所がわからなくなって八方塞がりだという。そうか。しんどいなぁ。

 だけれど話を聞いているうちに趣味の話になった。今はあまり見ていないけれど何年か前までは熱心にアニメを見ていたそうなのだ。そしてなんとその時彼女がハマっていたアニメと、私が今ハマっているアニメが一緒だったのだ!なんという偶然。そこからアニメや声優さんの話に発展し盛り上がり、初めは意気消沈していた彼女も心なしか楽しそうに笑っていた。

 帰り道、彼女が何を思って何を考えていたのか私にはわからないけれど、私は彼女と話せた時間が本当に楽しかったし、また会いたいなと思っていた。習慣で彼女の生まれた時の月を調べる。するとなんと彼女もうお座だったのだ。同じ月星座生まれ。境界線を超えてこの気持ちが彼女にも伝染していたらいいな、なんて思った夜だった。

 

 今日、帰り道に何気なく空を見上げてみたらまだ明るいのに月が綺麗だった。手帳を見ると今日はうお座上弦の月。わぉ。1ヶ月で一番自分らしさが出るルナリターンじゃないですか。私の中のうお座らしさがでているのかな。嘘偽りのないありのままの自分を受け入れられているかな。最終的に自分のことも他者のことも好きになれたら、最強なんじゃないかな。そしてそれは全てを包み込む大きな愛になるんじゃないかな。

 

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