絶頂は今

好奇心と探究心。

村田作品 全作レビュー!


 こんにちは。最近YouTube動画にハマっている私です。
 何度もブログなどで発言している通り、私は村田沙耶香さんという作家の小説がめちゃくちゃ好きである。
 去年の7月末に初めて「コンビニ人間」を読んで好きになったのをきっかけに、それから1年かけて現在出版されている11冊全ての書籍を読了した。

 そんなわけで今回は!そんな私の大好きな村田作品全作レビューをしていきたいと思います!

  ※なるべく客観性を持たせたいと思っているけれども、あくまでも読んだ私の主観に基づくレビューになります。

 村田作品をタグ付けしていくとするならば、

 #人間のあり方
 #性のあり方
 #偏見
 #洗脳
 #多様性
 #スクールカースト
 #コンプレックス
 #リアル
 #ファンタジー
 #SF
 #グロテスク
 #宇宙視点

 こんな感じだろうか?
 以下、ジャンル別で紹介していきます。


 1. 人間の本質に迫り、生き方や社会について改めて考えさせられる系

 ①コンビニ人間
 #人間のあり方 #偏見 #リアル #多様性

 読みやすさ ☆☆☆☆☆☆6
 私のオススメ度 ☆☆☆☆☆☆6

 村田沙耶香といえば、の代表作。2016年、第155回芥川賞を受賞している。

  主人公は36歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしいと突きつけられるが…。「普通」とは何か?現代の実存を軽やかに問う衝撃作。

 オススメポイントは、なんと言っても読みやすさ。160ページと短めなので私は2時間ほどで読み終えたと思う。
 さくっと読めて、それでいて内容は濃い。村田沙耶香ワールドの入り口として最も適しているかなと思う。迷ったらこれ。

 正直、コンビニ人間が合わないと感じたら村田沙耶香とは根本的に合わないと思うので、他の作家さんを開拓した方がオススメです。読書はいいぞ。

 ②消滅世界
 #人間のあり方 #性のあり方 #SF #グロテスク

 読みやすさ ☆☆☆☆4
 私のオススメ度 ☆☆☆☆☆5

  セックスではなく人工授精で子どもを産むことが定着した世界。そこでは、夫婦間の性行為は「近親相姦」とタブー視され、「両親が愛し合った末」に生まれた雨音は、母親に嫌悪を抱いていた。清潔な結婚生活を送り、夫以外のヒトやキャラクターと恋愛を重ねる雨音。だがその“正常”な日々は、夫と移住した実験都市・楽園で一変する...日本の未来を予言する傑作長篇。

 この作品はテーマがテーマなので性的な表現が多い。また、253ページとコンビニ人間と比べるとしっかりとした重量感があるヘビー級。
 消滅世界については2月に書いたブログでも触れており、私の感想はそこに書いているので興味がある方はこちらへ。2月の備忘録 - 絶頂は今

 私は消滅世界が村田作品の中でも1,2を争うくらい好きです。

 ③地球星人
 #人間のあり方 #偏見 #洗脳 #リアル #グロテスク #宇宙視点

 読みやすさ ☆☆☆☆4
 私のオススメ度 ☆☆☆☆☆☆6

 地球では「恋愛」がどんなに素晴らしいか、若い女はセックスをしてその末に人間を生産することがどんなに素敵なことか、力をこめて宣伝している。地球星人が繁殖するためにこの仕組みを作りあげたのだろう。私はどうやって生き延びればいいのだろう――。

 これも本当に本当に本当に大好きな作品。主人公がとにかく不憫で泣いた。
 コンビニ人間でも描かれていた、「みんなと同じでない人はみんなと同じを強要され、それが出来なければ異端者として排除される」という描写が地球星人でも丁寧に描かれており、本当につらい。
 人間がどれほど愚かで恐ろしい正義を振りかざしているのかがとてもよくわかるお話。
 私の感想ブログはこちら。洗脳 - 絶頂は今

 ④殺人出産
 #人間のあり方 #性のあり方 #多様性 #SF

 読みやすさ ☆☆☆☆☆☆6
 私のオススメ度 ☆☆☆☆4

 「殺人出産」「トリプル」「清潔な結婚」「余命」と1冊の中に4作品も収録されている短編集。
 ひとつひとつがさくっと読みやすく、様々な角度から村田ワールドをのぞけるので村田ワールド導入にとてもオススメ。
 ただ、私は先に消滅世界やしろいろの~を読んでしまったので逆に物足りなかった。

 ⑤ タダイマトビラ
 #人間のあり方 #性のあり方 #洗脳 #ファンタジー

 読みやすさ ☆☆☆☆4
 私のオススメ度 ☆☆☆☆☆☆6

  自分の子どもを愛せない母親のもとで育った少女は、湧き出る家族欲を満たすため、「カゾクヨナニー」という秘密の行為に没頭する。高校に入り年上の学生と同棲を始めるが、「理想の家族」を求める心の渇きは止まない。その彼女の世界が、ある日一変した―。少女の視点から根源的な問いを投げかける著者が挑んだ、「家族」の世界。

 消滅世界や殺人出産などで家族のあり方に既存のイメージや概念を覆す衝撃を受けたが、タダイマトビラはその逆で、その"家族のイメージ"に縛られた主人公の物語。
 家族とは、母親とは、父親とは、夫婦とは。
 人は人に役名を付けたがる。その役のイメージからずれると攻撃する。その人はその役である前にその人でしかないのに。
 村田作品では度々出てくる偏見という名の固定概念。それに苦しむ主人公がついに見た景色とは。
 感想はこちら。膨張した胸が痛む - 絶頂は今


 2. 学生特有の世界に切り込む系

 ①しろいろの街の、その骨の体温の
 #スクールカースト #人間のあり方 #性のあり方 #コンプレックス #リアル

 読みやすさ ☆☆☆☆☆5
 私のオススメ度 ☆☆☆☆☆5

  クラスでは目立たない存在である小4の結佳。女の子同士の複雑な友達関係をやり過ごしながら、習字教室が一緒の伊吹雄太と仲良くなるが、次第に伊吹を「おもちゃ」にしたいという気持ちが強まり、ある日、結佳は伊吹にキスをする。恋愛とも支配ともつかない関係を続けながら彼らは中学生へと進級するが――女の子が少女に変化する時間を切り取り丹念に描いた、静かな衝撃作。

 一言でいうなら、リアル。読んでいて、こんなに自分の過去がフラッシュバックした作品は他にないと思う。
 主人公は確かに過激だけれど、コンプレックスを抱え、目に見えないが確実に存在するスクールカーストの中で学生時代を過ごした経験は多くの"女子"が持っていると思う。
 この作品を読んでただの物語だと感じる人もいるかもしれない。逆説的にそう思う人は幸運な人だったのではないだろうか。
 伊吹くんはめちゃくちゃかっこいいです!!!

 文庫版では、作家の西加奈子さんが解説をしてくださっている。それもとても良かったので西さんが好きな人にもオススメしたい。
 ただ、解説も含めるとページ数が比較的多いので、2~3日かけて読むのが良さそう。
 私が以前書いたこの本の感想ブログはこちら。2月の備忘録 - 絶頂は今

 ②マウス
 #スクールカースト #洗脳 #コンプレックス #ファンタジー

 読みやすさ ☆☆☆☆☆5
 私のオススメ度 ☆☆☆3

  私は内気な女子です― 無言でそう訴えながら新しい教室へ入っていく。早く同じような風貌の「大人しい」友だちを見つけなくては。小学五年の律は目立たないことで居場所を守ってきた。しかしクラス替えで一緒になったのは友人もいず協調性もない「浮いた」存在の塚本瀬里奈。彼女が臆病な律を変えていく。

 村田作品の中では珍しくスッキリした終わり方のお話。我が街の市立図書館ではなんと児童書コーナーに置かれていた。
 しろいろの~でもそうだが、あの時代特有のちょっとしたきっかけで天国にも地獄にも変わる空間は本当に不思議でならない。
 作中に出てくる「くるみ割り人形」のストーリーがわからないと途中で???となる。
 刺激はそんなにないので読みやすいが、私には物足りなかった。児童書コーナーに置かれているくらいなので、こどもたちとも一緒に読める作品かもしれない。

 3. 世界観が強くて難解な狂気系

 ①ギンイロノウタ
 #性のあり方 #洗脳 #コンプレックス #グロテスク

 読みやすさ ☆1
 私のオススメ度 ☆☆2

 「ひかりのあしあと」「ギンイロノウタ」からなる中編集。
 どちらも主人公が救いがなくてつらい。性の発想がエグくて難解。しかし村田沙耶香という作家の根幹はこういう所にあるような気がする。性のあり方への探求とも言うべきか。
 読んだあとグッタリする。村田さんの作風に慣れていない人は脱落すると思う。

 ただ!!!声を大にして言いたい!!!ひかりのあしあとに登場する蛍くんは他のどの村田作品に登場するキャラクターよりもかっこいいぞ!!!まじで!!!優男!!!一番好き!!!

 ②ハコブネ
 #性のあり方 #多様性 #コンプレックス #宇宙視点

 読みやすさ ☆☆2
 私のオススメ度 ☆1

  セックスが辛く、もしかしたら自分は男なのではと思い、男装をするフリーターの里帆。そんな曖昧な里帆を責める椿は、暗闇でも日焼け止めを欠かさず肉体を丁寧にケアする。二人の感覚すら共有できない知佳子は、生身の男性と寝ても人間としての肉体感覚が持てないでいた―。十九歳の里帆と二人の“アラサー”女性。三人が乗る「ハコブネ」は、セクシャリティーという海を漂流する。

 全作読んでから感じるのは、まだ読みやすい方だなということ。
 読んだ当時は?????って感じだったけど、他の村田作品を読んでいくうちに村田さんが表現したかった本質がなんとなく掴めてきて、ハコブネもそれから腑に落ちた。
 とことん性に関する価値観をいろんな角度から探求していくかんじ。女性だから女性らしく、っていうのは私も納得がいかない。

 ③星が吸う水
 #性のあり方 #多様性 #宇宙視点

 読みやすさ ☆1
 私のオススメ度 ☆1

 「星が吸う水」「ガマズミ航海」からなる中編集。
 おおむねハコブネと似たような世界観。性の多様性のお話。私は共感できないままフィニッシュした。
 けれども、ギンイロノウタのような狂気はあまり感じないので、気がついたら物語が終わっていたようなポカーンとするかんじ。
 ただ、性的表現はかなり多め。

 ④授乳
 #性のあり方 #コンプレックス #洗脳 #グロテスク

 読みやすさ ☆1
 私のオススメ度 ☆1

 「授乳」「コイビト」「御伽の部屋」の短編集。
 狂気。本当に狂気。小説家村田沙耶香の痛烈な産声。こんなデビュー作あるか!?と思うほど荒削りな脳直異物作品とでも言うべきか。
 それでも、全ての作品に通ずるようなテーマは確かにそこにある。
 ここを通ったからこそ今の村田沙耶香があるのだ。ただ、本当に意味がわからない部分が多くあり、頭が痛くなる。


 以上です!!!是非!!!自分に合った村田作品を見つけてください!!!そして本の感想を一緒に語りましょう!!!

 村田沙耶香はいいぞーーー!!!

性のあれこれ


 突然だが、私は生物学上女性である。
 昨今、LGBTやSOGIというように性のあり方は多様になっている。

 ①生まれ持った体の性
 ②自分が認識する自分の性
 ③社会から扱われたい自分の性
 ④言葉遣いの性
 ⑤服装の性
 ⑥社会的に果たしたい役割の性

 一口に"性"と言っても様々な要素から一人一人オリジナルの性が成り立っている。
 上記の性を私自身で考えるなら

 ①女性
 ②基本は女性 時々どれでもない
 ③どれでもない
 ④どれでもないが強いて言うなら女性的
 ⑤女性
 ⑥男女ともである

 と現時点での性自認はこうなるだろう。女性の面が多いが、女性はこうだから~というような性別で判断されたり扱われることにとても嫌悪感を抱いている。私は女性である前に、一人の人間である。
 ⑥については、子どもを守る母性的な役割を果たしながら結婚はせずにバリバリ働きたいので男性的な部分と女性的な部分の両方かと感じている。
 私は、自分の性をとても大切に思っている。ゆえに自分の性を他人に消費されるのは我慢ならないし、蔑ろにされるなどもってのほかだ。

 性指向についても複雑で、好きになる対象は性別を問わない。所謂、「好きになった人が私の好きなタイプ♡」ってやつだ。
 しかし、これまでの傾向としては男性が多い。ただ、その男性は自分と直接関わりのない人ばかりである。
 つまり、それらはほとんどフィクションに近く、現実の目の前にいる男性は脳内で役柄を与え間接的に関わることでなんとか関われる状態なのだ。
 例えば、この人は男性である前に私の上司である。この人は男性である前に私の職場の同僚である。といった具合だ。
 そうするとその役柄をまとったその人だけを見れるし、私自身も女性である前にそこで働く従業員という役柄をまとって関わればいいだけなので楽なのだ。
 この"役柄"は制服のようなものかもしれない。

 こんな具合で、好きになる傾向はありながら男性への根本的な苦手意識が拭えない私である。どうしてこんなにも現実の男性を自身から遠ざけてしまうのか、冷静に分析してみた。

 説その1 小中学生の頃、男子にいじめられたことがきっかけで苦手意識が芽生えた。

 説その2 潜在的に、自分の性を脅かす男性が苦手という意識が存在している。

 説その3 単純に身体的な力の差で勝てない相手=天敵という考えから、生物としての恐怖感がある。

 説その4 歴史的背景を鑑み、武力ではなく言葉での話し合いで問題を解決するのが難しそうという偏見。

 説その5 前世で男性にひどい目に遭わされた。

 身体的な差や心から信頼できる男性と出会ったことがないことが主な原因だと思うのだが、そもそも信頼って性別で判断していたらできないことだと思う。
 つまり、その人を男性である前に一人の人間として尊敬できるか信頼できるかということになるのだが、いくら尊敬していてもどこかで身体的または性的な男性性を感じると一気に嫌悪感が出てくるのだ。私はそこを見ていたわけではないのだから。

 総括すると男性っぽくない男性が好きというよくわからない結論になる。
 確かに好きな人の見た目のタイプは女顔、丸顔、低身長、童顔だ。かっこいい人よりもかわいい人が好きで、固い人より柔らかい人が好きだ。更に中身がかっこいいとキュンとする。そうだ、和泉三月だ。

 えぇ~~~~~~?三月ちゃんが最強じゃ~~~~~~ん!?というオタク丸出しの結論になってしまった。和泉三月ちゃんあまりにも理想そのもの……

 誰にでも、理想はあるはずだ。そこにどれだけこだわるかは人それぞれだと思う。私は、ガッチガチにこだわるタイプだと自覚している。だって山羊座だもーん。

 結婚願望がない私でも、もし結婚するならこんな人が良いなぁなんていう妄想くらいはする。月星座魚座だからね。
 そうすると一番に出てくるのが「性の匂いがしない人」なのだ。同じ家で暮らしていて、生活に性的な要素がないこと。
 家族のあり方については村田沙耶香さんの小説の影響をかなり受けており、結婚生活において一番に求めることは「安定と安心」なのだ。同じ空間にいて、警戒しなくて済む存在でないと結婚はできないと思っている。声が柔らかくて、笑顔が優しくて、一緒にいて癒される人。威圧で人を操作するような人とは対極にあるような人だ。刺激は趣味で摂取するので。三月ちゃ~~~~~~ry

 他にも、フェミニスト(ここでいうフェミニズムとは、 性別を問わず皆がその人らしく生きられる性差別のない社会を目指す思考のこと)、一緒に哲学や政治、世論について議論できる人、本をたくさん読む人、保育とこどもの発達に理解がある人、一緒に運動してくれる人、経済的に安定している人とか挙げればきりがないかもしれない。

 そんな人いるわけないよ~~!現実見なよ~~!とか言うような人とは価値観が合わないですね。もしいたらそっと心の扉を閉じます。信頼は地に。そしてそれは二度と回復することはないでしょう。
 理想を持つことも、理想にこだわることも、私の自由であり誰かに指図されて良いものではない。もちろん、私も誰かの思想や理想に口出しをする権利はない。

 現実なんて日々痛感してますよ。それでも、理想や夢を掲げなければ私が私らしく生きられないのです。そこも含めてまるごと私の生き方、考え方を尊重してくれる人しか"何者でもない私"の周りにはいないと信じています。

依存と自立とアイナナと私

 2019年の下半期に突入した。あと半月ほどで1学期が終わり、こどもたちはもう夏休みだ。あまりにも早すぎる。

 こどもたちと日々関わるようになってから、人と人の関わり合いすなわち人間関係について考えることがますます増えた。
 偶然か必然か、一つのコミュニティで出会った個性豊かで多種多様なこどもたちと一人一人丁寧に関係を築く体験が私のなかでは今までにないもので、相性が良い人との関係だけでなく、相性があまり良くない人とどう関わっていくのか試行錯誤の日々だ。

 人間関係について考えると「依存」というキーワードが度々出てくる。当然のことながら、我々教育者の最終目的はこどもたちの自立であり、こどもたちを大人に依存させてはいけないし、ましてや自分がこどもたちに依存してはいけないのだが、この「依存」ってすごく難しい問題だと思う。

 誰にでも、心の拠り所はあると思う。または、自分が安心していられる居場所とでも言うべきか。
 例えば、生まれたばかりの赤子は自分の命を保護してくれる大人に頼るしかないし、それはこの世界で生きていくために必要なことである。こどもは養育者を全面的に頼る。そうして周りからの愛情を感じられないと発達に影響が出てしまうほどだ。

 私だって、家族や友人がいて、趣味がないと私が私らしく生きられないと思っている。趣味に関して言えば、もはや生活の一部としてアニメやゲームにそれなりの時間とお金を費やしている。
 今は鬼滅アニメとアイナナが特に熱い。我妻善逸とナギみつが私の心を掴んで離さない。アイナナ新章が毎回本当に哲学すぎて人生……としか言いようがないのだ。SUKI……アイナナはいいぞ。

 話が脱線したが、ここで改めて「依存」という言葉の意味を調べてみた。 他に頼って在ること、生きること。
 では「自立」はどうだろうか。 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。

 そこで疑問が浮かぶ。依存はそんなに悪いことなのだろうか?自立はそんなに良いことなのだろうか?
 善悪というのは白黒はっきりつけられるものではないし、どんなことも行き過ぎたものは推奨されるべきではないと私は思っている。行き過ぎた依存は自分の意思を持たなくなるし、行き過ぎた自立は独りよがりになる。結局世の中ほどほどが一番なのだろう。なぁ、大和さん。

 何度も同じ話をしてしまうが、私はアドラーの共同体感覚という考え方が好きだ。
 要は、人類はみな同じ共同体の一部であり(一人が共同体の中心というわけではない)、様々な人が互いを補いながら立ってるよね~みたいな考えだ。
 例えるなら、狩りで使う弓矢を作る人と、狩りで獲物を採ってくる人と、その獲物を食べられるように調理する人が、共同体の中で分担しながら生活を営んでいるイメージだろうか。
 それぞれに得意分野があり、出来ない所は出来る人にやってもらう。そうして社会は回っている。
 人間は一人ではとても弱く脆い。だが三人よれば文殊の知恵。うまいことなんとか生きていけるものだ。
 過去から紡いできた叡知を活かしながら、人ならではの工夫として共に協力し合いながら命を繋いでいる。

 Twitterで見た次の言葉がとても印象的だった。

── 「自立」とは、「何でもひとりでできる」ことではなく、「困ったときに、適切な人に、適切な方法で助けを求める」こと。

  子どもの自立とは、適切に依存できる場所を増やしていくことだが、子どもが外に居場所をつくっていくことを許さず、"親だけ"に依存させようとすると、子どもの自立は阻害される。 ───

 「依存」でいうならば、アイナナでもこのテーマが物語で描かれている。
 セトという名の一国の皇太子が、国の弱者や未来ある若者に支援をし、そのおかげで救われ成功をおさめた者たちから感謝されることで、その成功を自らの手柄とし自身の価値を高めようとするのだ。
 セトの行動はだんだんとエスカレートし、自分に対し感謝しない者への援助をあっさりと打ち切るようになり、また別の感謝してくれそうな者たちに支援をする。その繰り返しになるのだ。

 私はこの話を読んだ時にドキッとしたのだ。
 セトは、アイドルや芸能人を応援し尽くすことで自分の価値を高め欲求を満たそうとするファンや、子供を自分の支配下に置き援助するふりをして自分の理想を押し付ける大人の延長線上の人だと。実際そういう人は、ゴロゴロいる。

 セトは皇太子であり、支援活動などの功績により人望もあったため、一見裕福で社会的にも満たされている幸福な人のように見える。
 しかしセトのような人こそ、他人の人生に依存して自分の価値観を満たしている人だと思うのだ。
 物語でも、セトが常に満たされず自分を愛し満たしてくれない人々を卑しむシーンが多々出てくる。自分はこんなにも尽くしているのに、と。

 もしかしたらセトは幼い頃からありのままのセトであることを認めてもらえなかったのだろうか、と感じた。
 皇太子ということは、常に周囲から期待され、完璧でないことは認められず、失敗も許されなかった。そんな幼少時代を過ごしたのではないか。だから自分で何かを達成するよりも誰かの成功を自分の手柄にしようとしたのではないか、と。

 そうなると、その人のありのままを見てありのままを受け入れてありのままを尊重することがいかに重要であるかが窺える。
 千差万別、一人一人性格も特性も異なり、その人をとりまく環境も関わる人間関係も異なる。そうやって様々な要素から成り立つ目の前のその人を、色眼鏡なしで見つめることが大切なのだと思う。そしてそれがとっても難しい。

 スペインの哲学者オルテガは、このように言っている。
 「私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない。」
 
 私は、こどもたちに、困った時や苦しい時にその環境を変えるための手段と、環境を変える手助けをしてくれる人との繋がりと、そういう存在にうまく頼る姿勢を身に付けてほしいと思っているし、それこそがこどもの自立なのではないかと思う。
 そして、誰かが困っていたら手を差しのべられるようになってほしいと心から願っている。優しさは連鎖し、それはいずれめぐりめぐって自分自身を救ってくれるのだと信じている。

 誰のために、何を届けるか。どんな仕事でもどんな人間関係でも、真心と誠実さを大事にし丁寧にアプローチしていく。面倒くさくて複雑なことの中にこそ人の営みの本質があるのだと感じる。

 とはいえ無理なことは無理なので自分に出来る範囲で。私自身も周りに頼っていくし、家族、友人、多趣味、複数の拠り所を持つぞーーー!!!!!今週末はアイドリッシュセブンセカンドライブ!!!!!!!!!!!!しぬほど楽しみ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!趣味万歳!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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三月ちゃ~~~~~~~~~~ん😭💕💕💕
すっき…………………………

沖縄に行きたい


 しんどい。

 ここのところ、物事が思い通りにいかず、いつも以上にストレスを感じている。
 こどもたちの悪ふざけや自己中心的な言動に腹が立って仕方なく、つい言い方を強くしてしまって猛省、自己嫌悪の繰り返し。

 この頃見返していなかった新年に引いた今年の課題タロット。5月のメモを見たら吊るされた男の逆位置だった。
 ・自己の考えに固執
 ・考えすぎて頭パンク
 ・思い込み
 ・問題を手放せない
 ・スランプ
 ・責任転嫁
 ・盲目的
 ・自分を省みる
 ・何かの犠牲になっていると感じる
 思い当たる節ばかりだ。

 原因は自分でも薄々わかっていた。手放せないのは自分の理想だ。私の理想は、ものすごくハードルが高い。自分に対しても、そして他人に対してもだ。その目標があるからこそ、そこに向けて頑張れるのだが、高く設定しすぎて時々負のターンになると現実との落差に絶望し、全てを投げ出したくなる。
 完璧でない自分はなかなか認められないし、完璧でない他人も受け入れるのに時間がかかる。私はなんて強欲なのだろう。

 どうしようもなくなって、結局またタロットに頼ってしまった。自分の頭で考えて行動できたらいいのに、それができないのが情けない。
 誰かに相談するというのも、相手の負担になりたくない気持ちや、自分を否定されたくないという恐怖からなかなかできないでいる。ちっぽけなプライドを守りたくて自分の弱味を見せることができない、器の小さい人間なのだ。

 結局のところ、私は本当の意味では誰のことも信頼できていないのかもしれない。こんな人間、誰からも愛されなくて当然だ。
 愛は信頼と尊敬から始まると、アドラー心理学から学んだが、まだ私には人を愛するということが体感として真理に至っていないのかもしれない。それをわかったつもりでいた自分が本当に恥ずかしい。
 いくら読書をしても、いくら特技を身に付けても、根深い自己肯定感の低さはずっと私の根幹にあって消えてくれない。自分を愛するということが、私の今世の課題なのだろうか。

 人の悩みは全て人間関係にあるそうだ。私が完璧でいなければ、と思うのは周りの人の目が気になるからで、完璧な自分でなければ誰からも愛されないと思うのも、誰かに自分を認めてもらいたいからだ。
 ありのままの自分を受け入れ、他人に評価されることなく自分で自分を認められるようになるにはあと何が必要なのだろう。あと何年生きれば私はそこに到達できるのだろう。

 あまりにも気持ちの浮き沈みが酷く、仕事にも悪影響がでているので、タロットからのアドバイスを素直にきこうと思う。
 私に今必要なのは心身の浄化と一人でゆっくり何も考えずに過ごす時間だそうだ。

 私がリラックスできるヒントは、やはり水にある気がする。月に魚座を持っているので、私の心が満たされる感覚がある。
 家事で好きなのは洗濯と皿洗い。水で洗い流すと心までスッキリするから大好きだ。あとはお風呂かプールで全身に水を浴びたい。天然塩を入れて、ヒーリングミュージックを聴きながらお風呂で瞑想なんていうのも素敵かもしれない。

 しんどい時ほど、自分にあったライフハックを上手く活用して乗り切りたい。
 今一番やりたいことは、髪を切って染めることだ。来月いっぱいまでには達成していることを願う。

 土星の影響なのか、本当に苦しくて苦しくてたまらない。けれど、土星は乗り越えられない試練は与えない惑星なので、土星を味方につけて一歩一歩前進していけることを信じるしかない。

 はぁ~~~沖縄に行きてぇ~~~~海もぐりてぇ~~~~~沖縄のゆし豆腐食いてぇ~~~~~~

洗脳


 村田沙耶香さんの「地球星人」を読んだ。

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 図書館で予約してからおよそ3ヶ月。待ちに待ったこの本をようやく借りることができたので、また一気読みしてしまった。
 村田さんの小説を読むのはこれで8作目だったが、初めて読みながら涙した。
 一言で表現するとするならば、消滅世界とコンビニ人間のハイブリッドのような展開だったが、なによりも主人公が不憫で泣いてしまった。

 村田さんの小説には、よく洗脳という表現が出てくる。普通という名の偏見、性別や年齢によって裁かれる呪縛、欲望や面倒事を巧みに幻想で包みこみ素晴らしいものだと信じさせる刷り込み。
 これらは産まれてからこの世界で生きていくうえで自然と与えられる社会的な概念であるように私は感じている。村田さんの小説を読むと、それらから一歩引いた状態でその様子が客観的に見えてくる。

 私はこれまで、村田さんの小説を読んで何度も何度もそういった固定概念を壊されてきた。今回もそうだ。
 大人は自分たちに都合の良いように解釈して自分たちの概念を押し付ける。それが幼き主人公にとってどれほど苦痛で逃げ場のないことだっただろうか。主人公の無力さと、死ぬことよりも生きのびることの方がつらい彼女を思うと胸が締め付けられた。
 主人公が大人になってからもいっそ洗脳されたいと願っている姿がいたたまれなく、洗脳されている方が幸せなこともあるんだと思うと何が正解かわからなくなった。
 幸せとは、なんなのだろうか。全ての人が幸せになることなど、夢見ることさえ無意味な世界に私たちは暮らし、生きているのか。

 生きることの本質は、命を繋ぐためだけか。この世界で生き抜く術を身に付け、つがいと生殖し、子孫を残す。本当にそれだけだろうか。
 私は、誰かが困っていたら助けになりたいし、私が与えられるもので誰かを笑顔にすることができるなら、そのために生きていたいと思っているけれど、それは果たして正しいのか否か。極論、目の前に息絶えそうな人がいたとして、私の臓器が必要だと言われたら差し出すのが私の生き方だと思う。
 結局私は自分のために生きていないと捉えるか、自分の心に従って生きていると捉えるか。

 村田さんはどんな思いでこの小説を書いたのだろう。どうしたらこんなにも武骨で正直で第三の目線で世界に誠実な小説が書けるのだろう。
 私は、村田さんの小説を読むといつも自分の生き方を見直す。本当にこれでいいのか、世界の意思ではなく自分の意思で決められているのか、何度も考える。

 ある意味では、私はすっかり村田ワールドに洗脳されているのかもしれない。
 そしてそれが私にとってのかけがえのない救いなのだろう。

集大成


 5月に入り、私が暮らす日本では元号が新しくなった。

 4月下旬には木星土星冥王星が逆行を始め、原点に立返って見直すような雰囲気が漂い、平成というひとつの時代を振り返った人も多いのではないだろうか。

 私が過ごした24年間の平成はどうだっただろう。ぼんやり思い返してみると、全てが今に繋がる経験であり後悔はないなと思う。確かに苦しかったし、確かに迷走もした。今ではどうしてそんなことしたんだと思うようなことも平気でしていた。けれどもやっぱり何事も無駄ではなかったというのが今の私の結論である。まぁ今さら過去を悔やんだところで時間は巻き戻せないので今を見つめるしかできないのだが。

 平成に出会って大きな影響を受けた人物をあげるならば、私は高橋優さん、しいたけさん、岸見一郎さん、村田沙耶香さんだろう。

 優さんからは生きる希望を。しいたけさんからは占いの手引きを。岸見先生からは哲学を。村田さんからはそれまでの概念を覆す宇宙視点を。

 いずれも私が成人してから出会った方々なのだが、それからの数年で人生の流れが大きく変動したと感じている。5年前の私が今の私の姿を見たらとても驚くだろうし、当時の私は今の私の現状を夢にも思っていなかった。いや、だってまさか占星術やタロットをしてもらう側ではなくする側になってるなんてさすがに誰やねんってなりますよそりゃ。
 しかしながら、読書を始め、占いを始め、哲学を始めてから私はとても生きやすくなったと感じているし、それらは今や私の強力な手札となっている。

 スヌーピーの名言のひとつに、「 You play with the cards you’re dealt …whatever that means.」というのがある。「配られたカードで勝負するしかないのさ…それがどういう意味であれ」という意味だ。
 友人が好きだと教えてくれた言葉なのだが、私ならこの言葉にこう付け足す。
 「しかし、自分次第で手札を増やすことは可能である。」

 例えば、配られたカードの中にコンプレックスのあるカードがあるとする。出生や家庭環境、自己の性格、容姿など、人によって様々だろうが、それは紛れもなく自分の手札で、まずはそれで勝負するしかない。
 ある人は、なんとかこのマイナスなイメージのカードを無くそうと躍起になるかもしれない。またある人は、初めから勝負を諦め無気力になるかもしれない。

 だが、私は自分次第で手札を増やすことはできると信じている。私にとっての韓国語や占いの技術、読書や趣味を通して得た知識や知恵、そして経験値。これらはすぐに何かの役に立つかといえばそうではないかもしれないが、勝負できる手札が多ければ多いほど自信に繋がると思うのだ。
 また、自分でマイナスだと思っていたカードを逆さまにして見てみたら、プラスに見えてくることもある。長所と短所は表裏一体だと私は常々言っているが、タロットも逆位置で出たらカードの意味が変わる。それと同じことだ。そもそもそのカードに善悪という価値観を持つこと自体偏見でもある。そこにはただの事実しかなく、意味を持たせているのは紛れもなく今の自分なのだ。

  だから私はコンプレックスのあるカードを減らすことよりも、自信に繋がるカードを増やすことに尽力したい。私はもっともっと大きくなれる。生きていくうえで得ていくもの全てが私の手札になる。

 先月、NHKの100分de名著という番組の「自省録」回を岸見先生が解説で出演されると知り視聴した。

 内容はこうだ。古代ローマ帝国の哲人皇帝と呼ばれるマルクス・アウレリウスが自身を理想に近づけるために書き綴った自省と戒めの手記を読み解こうというものである。
 とても興味深く、現代の我々にも響く言葉が多く私も感銘を受けた。

 その中でも特に印象に残った言葉は、「すべての行為を、生の最後の行為のように行う。」だ。毎日を丁寧に生き、過去でも未来でもなく今立っている現在をしっかり生きるということだ。

 私は今こどもたちと関わる仕事をしているが、ここのところ怒ることが増えてきて精神的にしんどくなっていた。今思えば、小さな箱の中の秩序だけに視野が狭まり、怒りという安易な方法でこどもたちや空間を支配しようとしていたのだ。
 もちろん、人類はみな共同体の一部なのだからお互いに協力し共に生きていく必要がある。そのことを学ぶ場所でもあるはずなのにこどもたちには真意が届かない。なぜならその行為はその場しのぎのものにすぎないからだ。 怒り=叱ることは言葉でのコミュニケーションを放棄し大声や不機嫌な態度で相手を萎縮させる暴力であり、本質的な解決には繋がらない。

 もし、次の日にその人が亡くなっていたら?自分が死んでしまったら?もう二度と接することができなくなるとしたら?
 私は、絶対にケンカ別れは嫌だし、お互いが最後に抱いた感情が楽しい気持ちや幸せな気持ち、満たされた気持ち以外だったら嫌だと思う。だから私はいつも愛を届けたい。言動で、表情で、態度で。声かけするのも、注意するのも、あなたのことが大切で、あなたにもっと成長してもらいたいと思っているからだと伝わるように、たとえ時間がかかるとしても丁寧にコミュニケーションしていきたい。心を込めればいつか伝わると信じて。

 同じタイミングで、岸見先生が執筆に携われた嫌われる勇気の続編「幸せになる勇気」を再読し、教育の本質を改めて再認識した。
 こどもたちを信頼し、目の前にいるこどもたちのありのままを尊重する。こどもたちの今は将来のための準備期間ではなく、この瞬間瞬間がその人の人生の本番であるということを我々は忘れがちだ。
 学ぶことは将来のためではなく、今の自分が成長するためのものである。理想や夢は未来にあるものではなく、今の自分が進む方向を示す指針として今ここにあるものだ。
 それはこどもも大人も変わらない。今ここから人は変われるし、現状を捉える視点も変えられる。

 ここまでいろいろ書いたが、できるだけポジティブで、できるだけ愛に溢れる日々を過ごしたいと思ってはいても、余裕がなければそれはどうしたって難しいものだと思う。
 うまくいかないことが重なってイライラして当たってしまったり、耳を傾けてくれない人に無遠慮に大声を出してしまったり、程度の低い言葉で負の感情を撒き散らしたり。それらは最終的に自己嫌悪に繋がり余計に自分を追い詰めてしまう。
 そういう時こそ自分は何ができるのか。うまく切り替えるための手札を今後もっと増やしていきたい。

 12月には木星山羊座入りし、私も25歳になれば太陽の年齢域に突入し太陽山羊座がますます強まると思われる。このままいけば私はTHE山羊座人間になりそうだ。
 新しい時代を生きる私の目標は、自分の中の山羊座に恥じない生き方をしていこうと思う。私もいろんな要素を持っているが、言うて太陽山羊座なので!面倒くさくて扱いづらい堅物な山羊座というカードを私なりに大切に育てようと思う。

とはいえ!今は木星は射手座にいるので(8/11まで逆行)、やっぱり楽しいことワクワクすることは積極的に見つけていきたいなと思います。春アニメは鬼滅の刃がめちゃくちゃ好きです!面白い!!!なんてったってジャンプだもんな!主人公CV花江夏樹~~~!また何か新しい趣味ができるかもしれないし、それを楽しみにキラキラを見逃さないようにしていきたい。

このブログを書くのに4,5時間はかかってる!怖い!今の自分をこれでもかと詰め込んだ文章になった。さぁ連休明けからまたお仕事頑張るぞ!

色々

 


 冬から春へ、気温も身体も変化していく真っ只中で、私も慌ただしく季節の変わり目を過ごしている。
 気圧や自律神経の波の揺れが激しく、春バテしている友人もいてつらそうだ。早く落ち着くといいなと願うばかりである。

 振り替えると、3月は個人的にとても目まぐるしかった。

 ・優さんのライブに行った。
 ・高校の同級生と卒業式ぶりに再会して一緒にアニメのイベントに行った。
 ・スクーリングで一週間勉強を頑張ってテストで100点取った。
 ・約6年勤めた職場を辞める決断をした。
 ・転職した。
 ・友人と紅茶専門店に行った。
 ・新しい職場で働きだした。

 先月のなかなか動けなかった日々から一転、毎日何かしら行動をしていた…というより何かに動かされていたような感覚だ。スクーリングの期間は毎朝5時半に起きて通学し90分×6コマの授業を一週間こなし、そこで刺激を受けて転職を決意。そして念願だった児童福祉関係の仕事に転職した。
 実際に今新しい職場で一緒に働く人たちと研修に行ったり年度始めの準備をしていても、ふとこれは夢なんじゃないかと思うほど実感はわかない。ずっと頭の中ではイメージしていた景色が目の前にあるなんて。私が先生と呼ばれるなんて。

 そんな中でも趣味は相変わらず楽しんでいた。1月からハマっている「約束のネバーランド」は原作コミックス最新刊まで読破。あまりにも面白すぎて止められなかった。
 そして約ネバのアニメが先日最終回を向かえ、最高のキャスト陣による最高の演技と最高の制作陣による最高のアニメーションと演出に感動で震えているところに第2期が2020年放送決定のお知らせ─────────(五体投地)

youtu.be

 こんなん……全世界がレイエマに惚れ込んでしまうではないか……最高ですありがとうございます本当に本当に感謝しかない約ネバ2期を見届けるまでは絶対に死ねないありがとうございます……………

 それから、癒しを求めYouTubeでタロットリーディングの動画をよく見ていた。これがまぁ~~~当たるんですよ。本当に。
 優しいBGMと耳に心地良いヒーラーさんの声、様々な種類のタロットカードを見ているだけで本当に癒されます。
 最近心にクリーンヒットしたのは「良くも悪くも自分自身が個性的であるがゆえに、人と同じことができないでそれにコンプレックスを抱いていた」という言葉です。全くその通りすぎて。

 話はズレてしまうのだが、私が「普通」とか「固定概念」とかに辟易しているのは昔はそれがコンプレックスだったからで。
 どうしたってそこからはみ出せば目立つし出る杭は打たれる。みんなと同じになりたくてもなれなかった生い立ち、みんなと共感できずにひとり遊びばかりしていた子供時代、周りに合わせようとして疲れた学生時代。他の人が真っ直ぐ進んでいる人生のレールから外れてしまった成人時代。
 高校時代は周りの友人たちに恵まれ、比較的自由に過ごせていたので楽しかった記憶ばかり残っているが、それ以外は…
 だからこそ、そういう世の中に根付いた"普通という名の固定概念"をひっくり返してくれた村田沙耶香さんの小説が大好きでたまらないのだ。
 ※おすすめはコンビニ人間と殺人出産です。興味がある方は是非。

 ちなみに先のリーディングの時に出ていたのは昆虫のガのカードだったのだが(個性的な色味と、蝶々とは異なる魔性の魅力みたいなイメージ)、私がタロットを選ぶと不思議と羽の生えた生き物だったり羽の生えた天使が描かれているカードが多い。昔から蝶々は好きだったので、何かそういった象意とご縁があるんだろうなと感じる。
 あとよく出てくるのはイルカが描かれているカード。過去世とかご縁があるものを見るとかなりの頻度で出会うし、前世はイルカだったと言われても妙に納得できる気がするのでやはり海や仲間を想うところはイルカが所以かもしれない、と思ったりするのだ。
 そういえば、昔から水が神聖なものだと感じたり、生まれ変わったらクジラになりたいと発言したり、死ぬときは海に帰りたいって思ったのも、私という生命体の核のどこかに海が刻まれているのかもしれない。それはそれでとても素敵だなと思うのだ。

 先日、しいたけ.さんのカラー心理学を特集したムック本を購入した。

ameblo.jp

 前回もその特集が載った雑誌を購入し、色の心理学って面白いなぁと感動して他の関連書籍も買ったりしたのだが、今回は前回よりもボリュームアップしてさらに色の世界に潜り込める一冊になっていた。
 私は茶色をベースに青系(ターコイズ、青、ネイビー)、白、オレンジ、ピンク、ちょっぴり金色が混じった複雑な人間らしい。ちなみにしいたけ.さん流のカラー分類は18色である。
 詳しくはしいたけ.さんの色の解説を是非読んでもらいたいのだが、地に足着いた生真面目な茶色と抜かりない完璧主義者な青とネイビー、冒険心と子供心を忘れないターコイズとオレンジと白、愛と平和のピンク、奇抜な金色といった具合だ。複雑でしょう?
 どれも私だしすべて間違いなく私を形成する要素だ。どれが良いとか悪いとかそういうことではなく、様々な色が複雑に混ざりあっているからこそ人は面白いのだ。

 色んな人がたくさんの色を持って暮らしているこの地球で、なぜ他の人と同じように生きないといけないのだろう?そんなこと、まず不可能じゃないか。一人一人が持つ色は異なるのだし、仮に似てたとしても色のバランスまで全く同じではないのだから。
 他人は他人、自分は自分。それを認めた上で共に生活し、足りない色はその色を持っている人に補ってもらって、その人が足りない色は自分の色をわけてあげられたら、みんなが生きやすくなるんじゃなかろうか。それが愛なんだと私は思う。

 いつも私を支えてくれている家族や友人、大切な人たちへ。本当にいつもありがとう。これからも、あなただけの色で私を支えてください。そして私の色があなたの支えのほんの一部にでもなっていてくれるのならば、これ以上ない幸せです。

 アドラーの共同体感覚を胸に、この広い地球に暮らす生物の一部として、己が手にしたものが取るに足らないものだと体感できる日がいつか訪れるのだろうか。私はまだその修行の途中にいてこれからもこの一生をかけて目指し、死ぬ時には成し遂げていたいと思うのだ。